お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

宿題/私の育業の報酬は大変さも喜びも「百掛け」です。

私は2度出産し、1年半ずつの育休を取った。

1人目の時は修行のような育休だった。

出産も2Lちかくの出血で10日間の入院というやや厳しいお産だったこともあり、

まさしく「妊娠・出産=命がけで子を産む」ことだと初めて知った。

「子どもを産み育てることってこんなに大変だったの!?」と初めて気づく驚愕の事実は続く…

3時間おきの授乳に不定期の夜泣き、ミルクや睡眠・排せつの1時間ごとの記録、

おまけに私自身の「完璧に育児したい」という意識が加わり、

朝は散歩で日光浴をさせ、日中は賑やかな子育て支援センターへ、午後はお昼寝をさせ、起きている時はたくさん語りかけたり英語を歌ったり等々…24時間体制だ。

体力的な負担に輪をかけて精神的な負担も加わった。

夫が仕事の間はもちろんワンオペなのだから、言葉もまだ話さない娘との朝から夜までの時間は正直「独り言」のような、「自分はいったい何をしているのだろか」というような時間だったことも事実であり、娘の黄昏泣きに一緒に涙する日もあった。

独身時代の大変なことと比べるなら×100倍である。

この心身ともに疲弊する過酷な育児は時間給に換算するなら一体いくらだろうか?

でも、大変なことばかりではもちろんない!

実の母、義理の母、支援センターの先生たち、夫からもたくさん支えてもらっていることも実感していたし、何より自分の親も同じように大変な育児をして育ててくれたのだと痛感し、周りの人々への感謝の気持ちが×100倍になった。

 

3年後に授かった2人目の育休は、もう「楽しすぎる」の一言に尽きる。

忙しく動き回る性格は相変わらずで支援センターに行ったり、スキルアップの勉強をしたりなのだが、気になるカフェに行ったり、自分一人の時間も作ろうと近くの義理の実家に赤ちゃんを預けたりと

余裕ができた。

余裕が生まれたことで、育児書を読んで人と比べることもなくなり、一番大切なのは“母親の笑顔”!

子育てはよ~ら(地方の方言で「大体で」の意味)でもいける!と

自分の子育てモットーが確立していったから辛さは半減!

 

「子育て」の本当の楽しさを知った私は、

ワンオペでも関係なく、その季節ならではの場所によく行くようになった。

息子を抱っこ紐で抱えながら行けるのも「今だけ」

小さな手で私の手を握る娘と歩くこの景色も「今だけ」

10年後にこの瞬間に戻りたくてもタイムスリップはできない。

子どもとの「今」はお金では買えないのだ。

そして、「今だけ」の貴重な日々を過ごすことが出来ている私は幸せだ。

幸せが子どもの数だけ増えていく×100倍×100倍。

もちろん、2人目育児で余裕が生まれても、

風邪のシーズンの家族一家病気リレーはホント戦々恐々、

子育てのための準備やら作業やらで睡眠不足も日常茶飯事、

子どもの数だけ大変さがある。

子育てへの心身の負担と将来の国の貴重な人材を育てていると考えるならば、育児への対価はいくらだろうか?きっと未知数に高額だ。

でも、そんな大変なことを子育て世代の人々が無給で続けられているのは、

今しかない幸せを日々感じることができているからだろう。

辛さを大きく超える「幸せ」が育児にはある。

育児に専念することを「育休」ではなく「育業」ととらえ、育児を尊重し肯定的にとらえる方針を行政がとったことは称賛すべきである。

今まで個人レベルの努力にまかせていた「育児」に、どうか温かく安定的な支援ができる明るい社会になってほしい。