金曜日、104歳の祖母が亡くなった。
もう最期かもしれないと施設から連絡を受け、
1週間前から代わる代わるみんなで会いに行ったから後悔はない。
でも、改めて、私は何にも祖母のことを知らないんだなぁと思った。
私には、三つ子とその姉、4姉妹の従姉妹がいる。その従姉妹家族と祖母は暮らしていた。看護師として働く叔母の変わりに4人の子育てを担っていたのが祖母だった。
私が覚えている祖母は、
三つ子ちゃんの着替えを3つ並べているところ。
キッチンにずっと立っているところ。
三つ子ちゃんを乗せておし車を押しているところ。
父のことを「のっちゃんのっちゃん」と呼んでいるところ。
遊びに行くと、孫7人のお腹を満たすため大皿に山のように唐揚げを準備してくれていた。唐揚げをお腹いっぱい食べられるのがうれしくて行っていたようなものだ。
いつも、どんな時もニコニコしていた祖母だった。
愚痴を言っている姿も怒っている様子も見たことがない。
そんな祖母だった。
一緒に住んでいたわけではないから、
私が見たことがないだけかなと思ったけれど、
長年一緒に暮らしてきた従姉妹たちも同じだと話した。
孫の顔を見せに行った時には、
子育てや料理を相談できるような感じではもうなかったけれど、
今になって思う。
もっと話がしたかった。
もっと料理も裁縫も教わりたかった。
どんなことを感じてきたのかおばあちゃんの考えや思いを聞きたかった。
北海道小樽で生まれ、
上海へ渡りそこで祖父と出会い結婚。
第一子は上海で出産。
終戦して、祖父の故郷熊本へやってきた。
39歳で祖父が亡くなり、
それからは女手一つで2人の男の子を育てた、
聞くと、真ん中にもう一人男の子がいたという。
自家中毒で1歳の頃に亡くなったそうだ。
歴史のうねりの中で生きて来た祖母。
私には想像を絶するような生き方だ。
祖母が歩んだ道があるから、今の私もある。
おばあちゃん、ありがとう。
今は、とにかく、おばあちゃんがつくったおはぎが食べたい。

































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