お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

インフルエンザ~光~

先の記事は~闇~バージョン。

そんな闇の中にいても、光がありました。

今回は、~光~バージョンを書きます。

 

どんなにしんどくても、「この体験は、元気になったら絶対記事にしよう!」と思っていたので、

経過がわかるように、写真を撮りためていました。

(こういうところは、お母さん記者魂が自分の中にあるんだと実感)

 

なぜなら、ダウンしていた一週間。

ご飯が作れない・家事ができない私を助けてくれた方がいるからです。

その方たちへの感謝の気持ちを込めて、この記事を書きます。

 

 

インフルエンザと診断が出た日(18日)の夕方。

病院で薬をもらって飲めば、熱も下がり、熱が下がったら動けるようにもなるだろうと

楽観視していたが・・・

熱は下がらない。しんどさは変わらない。いや、ますますしんどくなるばかり。

頑張って、夕方、ご飯の用意をしようにも、どうにもこうにも起き上がれない。

卵かけご飯ぐらいなら、息子たちは自分でできるだろうと思ったが、

新鮮な卵を切らしていた。

「どうしよう・・・」

困った時、いざという時、近くに身内がいない私は、あるご近所さんを頼りにしていた。

 

普段から、お互いに作ったおかずのやり取りをしたり、

頂き物があればおすそ分けする、二軒隣のおばちゃんがいる。

その方に、勇気を出して電話をかけてみた。

「○○さん。すみません。今、私がインフルエンザでダウンしてしまって、

ご飯を作ろうにも起き上がれないんですよ。。。

卵かけご飯なら息子ができると思うので、もし○○さんが今お仕事だったら、

帰りに卵を買ってきて頂けないでしょうか?」

 

すると、そのおばちゃん。

 

「うん!!わかった!!どげんかしちゃる!!!」

 

と言って、電話を切ったかと思うと、

その日はもう家にいらっしゃったにも関わらず、わざわざ卵やふりかけなどを

買って来てくれ、30分後にはテラスに置いておいてくれた。

そして、同日2回目。「ドンドン!」と戸を叩く音がしたと思ったら、

美味しそうなおむすびを握って、持って来てくれた。

そして、同日3回目。また戸を叩く音がし、今度は鍋ごと晩御飯を作って持って来てくれた。

美味しそうな白菜鍋。いっぱいの野菜とお餅が入っていた。

もう、ありがたくて、ありがたくて、涙が出そうだった。

 

そして、翌19日(火)の早朝。

「外に置いてます」とメールが入っており、テラスには、ビニール袋が置かれてあった。

私が朝ご飯作れないだろうと思ってのことだろう。

菓子パンやジュースなど、こどもに食べさせてと言わんばかりの品物が、

朝起きたら家のテラスに、サンタさんが来たかのごとく置かれてあった。

 

そして、20日(水)の昼。

何も飲まず食わずで寝ていたら、お昼時に美味しそうな焼き芋が、またテラスに置かれてあった。

これが私のお昼ご飯になった。

 

そして、その日の夜。

  

また、戸が2回ノックされた。

一度目は、大きなタッパいっぱいに詰められた炊き込みご飯を。

二度目は、夜の暗くて寒い中、カニ鍋をわざわざ持って来てくれた。

カニ鍋の温か~い、カニの出汁のきいたお汁が、身体に沁みわたった。

 

そして、21日(木)朝。

こどもの朝ご飯に・・・とのことだろう。

また6時過ぎの早朝には、テラスにこのワンプレートが置かれてあった。

毎日毎日、しかもこんな朝早くから、私たちのために作ってくださったと思ったら、

「ありがとうございます」の言葉では足らない気持ちだった。

 

そして、22日(金)冬至の日。

かぼちゃを煮たものと、柚子を持ってきてくれた。

 

21日には、息子の保育園の送迎を2日間してくれた保育園のママ友が、

「ちゃんと食べれてますか?」と、忙しい仕事の合間を縫ってご飯を作って、差し入れしてくれた。

  

ほっくり甘~~~~いかぼちゃの煮物とおむすび・焼きそば・鍋ごといっぱいの豚汁。

もう、ありがたくて涙が出た。

 

そんなこんなで18日(月)~22日(金)まで、

毎日、近所のおばちゃんとママ友達が差し入れしてくれたご飯で、私たち家族はご飯が食べられた。

生きられた。

全て、このお2人のおかげ。

 

私が病気でも、こどもたちに、添加物いっぱいのコンビニ弁当やスーパーのお弁当ではなく、

お2人の愛情が籠った手料理を食べさせて頂くことができた。

きっと、息子たちも、今回の皆さんの優しさや思いやりは、忘れないだろう。

味と共に、記憶に残っていくことだろう。

 

困ったとき、「助けてください」と言うのは、とっても勇気がいる。

でも、SOSを出した先に、こんなに温かい人の想いを頂き、

そのおかげで、私は元気にならせて頂くことができた。

 

常日頃からの、人との関係を大事にすることを改めて感じたし、

受けた御恩は、決して忘れない。

そして、私もしてもらったように、困った方がいたら、恩送りしていける人になりたい。

 

お世話になったおばちゃんに御礼を伝えると、こんなメールが返ってきた。

 

「こんな私を頼りにしてくれて嬉しいんよ。

遠慮はいらんから、いつでも頼ってね。」

 

こどもたちにご飯が食べさせてやれない・・・と困り果て、

この方に勇気を出して電話したとき、

「どげんかしちゃる!!!」

 

あの言葉が、どれほど心強く、嬉しくて、安心したことか。

闇の中の、光が見えた瞬間だった。

 

この場をお借りして、感謝申し上げます。

Yさん。Fさん。

本当にありがとうございました。

 

 

4件のコメント

おおおおお!!!!!
親切なあたたかい方に囲まれているんですね♪
〉常日頃からの、人との関係を大事にすることを改めて感じたし、
受けた御恩は、決して忘れない。
本当にその通り、困ったときのためだけではなく、普段からのつながりが自分たちを助けてくれ、またいつかその恩返しができる日にお返しできたらいいのかなと思いました。
私も弱っているとき支えてくれた人には一生感謝したい気持ちです。
ほんとに幸せいっぱいですね。

幸恵さん。コメントありがとうございました!!
返信が遅くなってしまい、ごめんなさい。

普段からの繋がりって、本当に大事ですよね。
それがないから、できないから、隣の人の素性がわからないから、何かあったときに
すぐ「虐待」と通報されてしまうんじゃないかと思うのです。

幸い、このおせっかい大好きな近所のおばちゃんのおかげで、私たちはご飯が食べられました。
ありがたいです。ただ、ありがたいです。

近藤さん。

この記事、見逃していました。

2軒隣のおばちゃん、本当にありがたいですね。

会いたくなりました。会って、ありがとうって、言いたい。

でも、近藤さんの、助けてくださいという一言で

隣のおばちゃんの、母力が一気に上がったのでしょう。

その一言がなかなか言えないけど、大事。

でも、日ごろから、近藤さんが、地域の人たちとのつながりを

大切に思っているからこそ。

それにしても、ふ~ふ~言いながら、後日、記事にするぞと、おかずの写メを撮った

お母さん記者魂にも、感動します。

偉い!

こんなことが、あっち、こっちの地域で、当たり前のようになる地域にしましょうね。

今度は、隣のおばちゃんが、ダウンしたら、出動だね。

あ、おばちゃんを病気にしたらダメね。

余計なことでした。

お母さん大学生らしい記事に、うれしくなって、今頃ですが、コメントつけさせてもらいました。

藤本さん。
この記事、見逃していたんですかーー!!
(藤本さんにぜひ見てもらいたいと思っていたので、見て頂けて、コメント頂けて、とっても嬉しいです♪)

お母さん記者魂が、病気中であっても私の中にあることに、この時は自分でも驚いていました。
でも、そんな自分になれたことが、また、嬉しいです☆

>こんなことが、あっち、こっちの地域で、当たり前のようになる地域にしましょうね。
本当にそうですね。
こんな関係があるのとないのとでは、いざというときの心強さが全然違います。
いま、福岡の地元紙では、お母さんが我が子と心中しようとして、こども2人に手をかけてしまった裁判の報道が
連日掲載されています。
このお母さんは、身内にもそれ以外にも、どこにも頼ることができなくて追い詰められてしまい、
最悪のシナリオとなってしまったようです。

お母さん大学の役割・存在は、これからますます大きくなってくると信じ、
ひとつひとつの発信を大事にしたいです。

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ABOUT US
近藤美和子
岡山県出身。大学は島根。就職は山口。結婚して愛媛へ。 2015年春に、愛媛から福岡に転居し、お母さん大学に出逢いました。 現在、小6と小3のわんぱく息子2人のお母さんをさせてもらっています。3年前から、わたし版【筑前町ゆりかご版】を書いています。 また、音楽療法士として、障がいのある子どもたちと関わる仕事をしています。 「お母さん」であることを、悩みもがきながらも、全身全力で楽しみたいと思っています! 好きなことは、自然・音楽・読書・ひとり旅・食べること・歌うこと・人と交わること・高校野球です♪