2018.4.9
私たち家族にとって、大切な方が天に還られた。
それは、我が家の隣に住むおじいさん。
奥さんに先立たれ、ひとり暮らしをしているおじいさん。
県外出身の私たち夫婦にとって、隣家のおじいさんはもちろん血の繋がりはない。
でも、3年前に今の借家に私たちが引っ越してきた時から、とってもお世話になっていた方だった。
81歳の誕生日を迎えられたばかり。
でも、80代とは全く見えないほどの若さと元気さで、大好きな車で免許更新もされていたほど。
私は〇さんが亡くなったことをまだ受け止めきれず、悲しくて、寂しくてたまらない。
3年間の思い出を挙げればキリがない。
引っ越してきたばかりの時。
県外からの転居と同時に小学校入学を迎えた長男。
全てが新しい環境という、不安でいっぱいの学校に放り出された繊細な長男は、慣れるまでに相当の時間を要した。
それはそれは壮絶な日々で、毎日が戦争で、毎日が格闘技で、毎日が嵐だった。
朝は、「学校に行きたくない!!」と大泣きし、大暴れし、物を投げ散らかし、布団から出てこない。
泣き泣き登校するが、一人では登校しないので、私が学校近くまで歩いて30分の道のりを
小さな弟を連れて同行する。
学校では頑張って頑張って「いい子」でいて、帰宅すると、その反動で大暴れする。
夕方になると、些細なきっかけで爆発するので、毎日夕ご飯なんか、作れるどころじゃなかった。
長男が泣くと、次男も泣き、夕方は2人の大泣きの大合唱で、私も一緒に泣きたくなるほど
どうしたらいいかわからず、途方に暮れる毎日だった。
そんなとき、隣のおじいちゃんは、いつも優しい声をかけてくれたのだった。
その話を、藤本さんに初めて会ったときに話したら、
すぐに記事にしてくださったものが残っている。(2015年11月号の藤本さんのコラムにて)

2018/04/16 21:59
(↑「とある母親の話」・・・とは、私のこと。)
大泣きする声が近所中に聞こえる中、
我が家の右隣のおばあちゃんが、
「なんか、いい音楽が聴こえるね~」と、チャイムを鳴らして我が家に来て、助け船を出してくれた。
そしたら、左隣のこのおじいさんが、「どれどれ、どうした?」とふかし芋を持って来てくれたのだ。
涙が出るほど、嬉しかった。
本当に救われた。
「このふかし芋の味は、一生忘れない!」と思いながら、ひとり泣きながら食べた。
ある時。
家出した長男。
「そっとしといてやり。あんまり怒りなさんな」
と、私を諭してくれた。
ある時。
仕事で帰りが遅くなって、夕方の長男の帰宅に間に合わなかった時。
鍵も持っていなくて困っていたであろう息子の姿を見てか、
おじいちゃんが自分の家に上げてくれて、私が帰るまでおやつをくれながら、息子を待たせてくれたことも。
ある時。
長男と次男が大喧嘩。
「ちょっとおいで」と、次男を家に上げ、晩御飯を食べさせてくれたこと。
ある時。
私が長男との関わりに悩んでいることを話したら、
息子と会ったときに
「あんまりお母さんを困らせるんじゃないよ」
と、息子に言ってくれたこと。
ある時。
息子たちが野球をしていて、〇さんの庭にボールが飛んでいった時のこと。
何度も何度も庭に飛んでいくもんだから、
息子たちを叱ってくれた。
でも、叱られたことにショックで、それを悟られまいとするように長男は反抗的な態度。
その姿にまた〇さんは怒り、
「もう、こっからは入れさせん!!!」と言って、
長男と〇さんが2人で本気で喧嘩していたことも。
〇さんに会う度に、
「今日も息子たちがギャーギャー言ってすみませんね」と謝ると、
「うちは二重ガラスにしとるけん、全然聞こえんとよ。気にせんでよかよ。」
と言ってくれたこと。
福岡では珍しく、大雪が降って、何10センチも雪が積もった日。
シャベルを持ってきてくれ、息子たちと一緒に、庭で大きなかまくらを作ってくれたこと。
息子たちが庭でキャッチボールをしていると、
「おー!やっとるなー!ほれ、こっちに投げてみ!」と
息子とキャッチボールをしてくれたこと。
次男の保育園の祖父母参観。保護者は入れず、祖父母だけしか参観できないとのこと。
博多に住んでいる母は仕事で参加できない。
次男だけ誰も祖父母が来てくれないのは寂しいだろうな~と思い、
おじいさんに事情を話し、「息子の保育園の参観に参加してもらえないでしょうか」と頼むと、
それはそれは喜んで、張り切って、
「じゃあ、竹とんぼの作り方でも教えちゃろうかね!」と
行く気満々でいてくれたこと。
(結局、後から祖父母参観は、年下のクラスだけだったと判明。キャンセルのお詫びに伺った)
そして、いつもの光景では・・・
玄関ではなく、隣合っている窓からおかずのやりとりをしていた私とおじいさん。
「奥さーん!!」と大きな声がし、窓をドンドン!!と叩く音がして
窓を開けると、いつも美味しそうなおかずを差し入れしてくれた。
私も、おじいさんが好きな魚の煮つけや、
ひとりでは作らないだろうカレーライス、
多めに副菜を作ったり、帰省したらお土産を買ってきて、
いつもおじいさんに持って行っていた。
私はそのやりとりがとっても楽しかった。嬉しかった。
私とおじいさんの関係では、ごく自然で、ごく当たり前のことだった。
そんな日々だったのに・・・
昨年秋に、体調を崩されて、入退院を繰り返していた。
「もう長生きしたから、そろそろあっちに行ってもよかごと」
「痛くて、食欲もないんよ」
「もうわしがおらんくなったら、この家使ってもよかけん」
などと、会う度にやせ細っていく姿に心配し、
私に弱音を吐いてくださることへの安堵と、複雑な日々だった。
一時退院をされた時は、隣から聞こえる給湯器(ボイラー)の音で、生存確認をする毎日だった。
「あ!今お湯を使われてるんだな。生きてらっしゃる!」とひそかに小躍りする日々。
「何かあったら、すぐ言ってくださいよ!」といつも声かけだけはしていた。
入院されるときも、
「〇さんがいないと、ホントに我が家は困ります!!
元気になって帰ってきてくださいよ!!」と言ってお別れしていた。
そして、1月。
いつものように、「おくさ~ん!」とおじいさんの声がしたので、
窓を開けて隣を覗くと・・・
「今から、入院してくるけん。これ」
と言って、家にあっただろう飴と煎餅を手渡してくれた。
いつものように、
「〇さん!首を長くして待ってますからね!!元気に帰ってきてくださいよ!」
そう声をかけたけれど、それが最期の姿となった。
後ろを振り返ることなく、手を振って、娘さんの車に乗り込まれた。
私も、もしかしたら・・・という一抹の不安があったのだろう。
なぜか、その頂いたお菓子を写真に収めていた。
〇さんが亡くなられたと知ったのは、亡くなった翌日。
そして、お骨が家に戻られたのは、次男の入学式の日だった。
息子たちを孫のように可愛いがってくれたから、入学式に合わせて帰ってきてくださったに違いない。
数日後。しーんと静まりかえった隣家の玄関に、手紙を添えて白い花をたむけさせて頂いた。
息子たちを呼び、一緒に玄関前で3人で手を合わせた。
そして、先週土曜日。
隣町に住む娘さんの車が家に停まっていたので、声をかけに伺った。
すると、お骨があるので、ぜひ会ってほしいと。
亡くなったことを知ってから、5日後のご対面。
私は初めて家に上がらせて頂き、小さな小さな祭壇に祀られたお骨が入った白い箱を見て・・・
この5日間、我慢していた気持ちが溢れてきて、
涙がぽろぽろ、ぽろぽろ出てきて、止まらなくなった。
あの〇さんが、こんな形で帰ってきたことを受け止めきれず、
悲しくて、悲しくて、寂しくて、涙が止まらなかった。
祭壇に目をやると、前日に私が玄関前に置いておいた花が、祭壇に飾られていた。
娘さんとは、おじさんが入退院を繰り返すようになってから今まで、
交流を続けてきたが、改めて色々お話をし、最期の時のこと・生前の出来事・
娘さんたちの知らない〇さんと我が家のエピソードなど、お話させて頂いた。
「父は世話好きで、近藤さんが引っ越してこられて、本当に楽しかったと思います。
頼りにされることが好きな人なので、本当に嬉しかったと思います。」
と言ってくださった。
我が家は、〇さん無しではやっていけないほど、私自身が頼りにしていたし、
どれだけ救って頂き、助けて頂き、支えて頂いたか、言葉には到底できない。
本当に残念でならない。
「近所の方には迷惑をかけたくないから、誰にも知らせるな」との
遺言で、病気のことも、入院のことも、組内の人には言わなかった〇さん。
葬儀も家族のみで、私たち地域の住人は知らぬ間に葬儀が終わっていた。
それでも、私は〇さんと親しかった方々の想いを知っていたので、
今日娘さんの車が停まっているのを確認し、
近所数軒のお宅に、慌てて走って行った。
「今なら、お参りできますよ!」と。
とんだお節介だが、お骨もいつまでもここにはない、と聞いていたので、
親しかった方々は皆さんきちんとお別れしたいだろうと思ったから。
すると、何人も何人も別れを偲び、〇さん宅へやって来られる。
〇さんの人望だ、と本当に思った。
こうやって、人の最期に、その人がどう生きてきたか、どんな人間関係を築いてきたかが出るのだ。
私も、いつ命が尽きるかはわからないけど、
盛大な葬儀なんていらないけど、
亡くなったことを残念がってもらえるような、
お金ではない、皆さんの中に残る「何か」が残せるような生き方をしたい!!
と、そう強く感じた。
最期の最期まで、〇さんは命を賭けて学びをくださった気がする。
毎日隣を見ても、締め切ったカーテンと、静まりかえった隣家に、まだ慣れそうにない。
でも、きっと魂は私たちを見守ってくださっていると信じている。
〇さんに頂いた愛情と優しさとご恩は、
必ず他の方に恩送りすることを誓います。
どうぞ、安らかにお眠りくださいね。
今まで本当にありがとうございました。
合掌。