お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

父の日に父を語るーあつぎ版6月号より

 母のことはブログによく書くので今回は父のことを書いてみる。
 
 父のことは全く覚えていない。1歳の時に突然死で亡くなって全然知らない。もし生きていたら74歳かな?

 父も父を早く亡くしたらしい。その後母親も亡くし大叔母のもとで育った。父方の親戚も今は付き合いがなくどんな人だったか、私が生まれた時どうだったのか等よくわからない。

 母は父のことをほとんど話してくれなかった。多分思い出したら泣いてしまうから。父のことを調べる宿題が出た時は心底困ったが当時は父方の大叔母が存命で電話でいろいろ聞いた。舞鶴の大叔母の家に一度だけ泊まりに行った時、父の勉強机を見て初めて父の子ども時代に思いを馳せた。
 
 父のことを少し知るきっかけは私の結婚。夫がズバズバと母に父のことを尋ねてくれて(内心母が泣くのではと冷や冷やしたが)私と同じカラオケ好きだったことが判明。その後はぼつぼつと似ているところを母から聞くことになる。骨が細いとか。

 子どもを産んで親となって、父の無念さを実感する。自慢じゃないが赤ん坊の頃の写真は今とは別人のかわいさだったしその後の成長を見られなかったのは本当に無念だったと思う。

 父の死は不幸だった。気のせいと言われるかもしれないけど私の顔はその後激変した。今は何にも覚えていないけど当時の自分のショックをそこに感じる。「おとおさん」と書いて得意の国語で×をもらったことを今も覚えている。
 
でも父が亡くなったからこそ、私は母方の祖父母と水戸で暮らせて今につながる。

「幸せに恵まれる」という名は父がつけた。

覚えていないことは悲しいし申し訳ないが、お父さん、私は今多分幸せです。

(お母さん業界新聞あつぎ版 6月号より)

4件のコメント

記事にしてくれてありがとうございます。
父の日にしみじみ味わいながら、母の陰に隠れそうな父の存在を子どもにとってのもう一人の大事な存在として
感じさせてもらえることになりました。
自分の存在には父と母あってのことだという自明のことを、日ごろはつい忘れそうになるほどに
母の存在の大きさに目が行きますからね。
父を知らないままではなく、父を自分で感じる手段は色々あることを教えてくれましたね。
ご主人の中に父を感じることだってあるかもしれません・・・
それを大事に思いながら夫婦の成長がありますように。

みっこさん、こちらこそ読んでくださりありがとうございます!
表現はおかしいですが、実物として父がいない・母の実家で母方の親戚に囲まれていたので余計父の存在感が薄いですね。
娘と夫を見ながら、生きていたらこんな時間もあったのだろうかとはしょっちゅう思っています。できなかったことだからでしょうか。
節目節目で想いを馳せてみようと思います。

幸恵さん。書いてくれてありがとう。
涙が出るー。。。
幸恵さんと少し似ている境遇を感じて、何だか嬉しくなってしまいました。

以前、夢ひろばとかにも書いてたけど、私も父の記憶はないよ。
父と生き別れたとき、私もとっても精神的におかしくなってて(今思えばね)
傷ついた幼心を防衛する本能で、その当時の色々大変だった記憶を自分で消してるんだと思う。
5~7歳って記憶が残ってる時期だと思うけど、その頃の記憶がすっぽり抜けてるの。

6年前に、27年ぶりに父と再会して、初めて教えてもらったこと。
私の「美和子」という名前は、父が命名したとのこと。
それまでは、母が「私が名付けた」と言い聞かされて育ったから。
その辺も幸恵さんと同じだーと思いながら、驚いて読ませてもらったよ。

だから、「美和子」という名前が嫌いだった時期もあったんだけど、
再会した父からその話を聴いて、今では自分の名前がとっても誇らしい!
父とはもう逢えないけど、「来世も親子になって、来世こそずっといようね」って約束したから
きっと叶うと信じてるよ。
色んなお父さん(お母さん)の物語があるね。
幸恵さんの名前、素敵♡
そして、きっとずーっと天国から、いや、すぐ近くで、幸恵さんのこと見守ってくれてるね。

美和子さん、ありがとうございます!
美和子さんの6月号書き上げたブログを見て、書こうと思いました。
似ているところがあるなと私もよく思っています♪
母が別な名前にしたかったのもあり、私も最近まで名前が好きになれなかったです。幸せに恵まれるってつけたのに死んじゃったの?という気持ちも少しあり。過労死的な突然死なので仕方がなかったのに、そう思ってしまっていました。
美和子さんはお名前にぴったりの人生になってきているのかなと推察しています。
お互い、会えない父でも、自分の中に、子どもの中に、いるんだと思うと近くに感じられますよね♪

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ABOUT US
曽我幸恵
MJプロ│お母さん歴約9年、元・お母さん業界新聞あつぎ版編集長│小3の娘&年少息子の2児の母 神奈川県厚木市在住、茨城県水戸市出身、学生時代住んでいた宮城県仙台市は第二の故郷。 インタビュアー&ライター&ライティングの先生│今より書くのが好きになるコミュニティ・個別サポート│厚木市子育てアドバイザー&ほっとタイムサポーター│ヨガセラピスト。 *noteでもインタビュー記事など書いています。 https://note.com/sogasachii *アメブロも時々。https://ameblo.jp/sattsun2525/