心に余裕がなくなると問題ばかりが目の前に立ちふさがり、どこから手を付けたらいいのかさえ分からずについ先延ばし状態になって、悪循環が止まらないということになる。
それは一個人に限らず、政府にしても同じこと。
切羽つまされるばかりの人が多数ではなかった日本社会だったのだけれどである。
余裕がある時こそ、将来の見通しが必要だと感じていた子育て期。
子どもが生まれてすぐは余裕がないと思うけれど、そこに余裕を生ませる必要性に気がつこう。
それにはお母さん大学生になって、気づきを得ることから。
虐待死事件頻発からようやく法律の見直しが出されて、学び直しの大人社会へ方向転換できるかが これからの関心事である。
世界は虐待防止のために体罰禁止を決めている国が増えているらしい。
スウェーデンでは1979年に法律化する前には、体罰90%以上であり、牛乳パックにキャンペーン広告をし30年で10%までになったらしいし、1990年半ばには若者の犯罪が減少したということらしい。
日本の体罰は明治時代に富国強兵策になり、戦争で軍人教育と学校教育も同じ方向になったためのもの。
これを躾の名のもとにずっと変えられずに今日まで来てしまったということだから、はっきりとこのことを認識して意識の転換を図ることからしかない。
子どもを育てるために、心に余裕を持つことの大事さをもう一度確かめ合いたい。