誕生日に母を想う

水曜日、無事に誕生日を迎えました。

先日の友達を真似して
「今日はお母さんに何か言うことがあるんじゃない?」と息子たちに強要し、「おめでとう〜!」と祝ってもらいました。

仕事終わりにせっせと自分でケーキを買いに行き「お誕生日用で」と依頼。
「プレートには何と書きましょう?」と聞かれ「『お母さんへ』でお願いします」。

44年前、切迫流産で入院した母。
「しっかりお腹にしがみついとくんよ」と何度も何度も言い聞かせていたらしい。
入院中、1歳半の姉はしばらく祖母の家へ。
退院して迎えに行ったら、母の顔を見て泣いて怖がったと。
忘れられていたことが本当に悲しくて涙が出た…と。
そんな想いを抱えながら、出産当日はスポーン!とあっという間に生まれてきた私。
以来、病気とは無縁で腕の骨折やヒビなど、外科ばかりにお世話になるおてんば娘となりました。

もちろん怒られたことも数知れず。
だけど、いつもニコニコして私が「やりたい!」と言い出したことには、すべて反対せずに応援してくれた。
勉強しろ、という代わりに「やればできる子じゃけえね」。

高校卒業後、神奈川へ進学する時も
大学卒業後、ニュージーランドへワーホリに行く時も
帰国後、就職で東京へ行く時も
いつでも快く送り出してくれました。
「あなたの人生だから」。

仕事で辛いことがあっても家では嫌な顔をせず
昼寝もよくして程よく手を抜き
大好きな歌を習いに行って
友達と旅行に行き
自分を犠牲にすることなく、好きな仕事や子育てをしつつも、ちゃんと自分の人生を楽しんでいた母。
私はそんな母のように生きていきたい、と常々思っている。

5年前、ガンで65歳という若さでこの世を去ってから、今でもずーっと母の面影を引きずっているけど…

もっと色々話したかった。
もっと色々相談したかった。
もっと色々行きたかった。
もっと色々…

それでもお母さんのような、太陽みたいなお母さんになりたくて毎日葛藤しているよ。
ずっと笑顔でいるのは難しいけど。

「物ごとにはすべて意味がある。無駄なことなんて一つもない」
「子どもには目が離れても良いけど、心がずっと向いていれば、脱線しても必ず戻ってくる」

教えてもらったことを、時々思い出しながら
これからも愉快に楽しく!

 

(福岡市/智原美沙)

ABOUTこの記事をかいた人

智原美沙

広島生まれ、広島育ち。ゲームとカープが大好きな長男(12歳)と、兄の真似がとにかく好きな次男(8歳)2人のお母さん。福岡市わたし版ひなたぼっこ版編集長。NPO法人Hand&Foot正会員。自分のこと、日々のこと、子供たちのこと、左手全指欠損の次男のことなどを書いています。