お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

そうか、そうか。思いの“出口”が必要だった!

小学校生活に、だいぶ慣れてきた様子の娘。

(4月あたまは強い登校拒否もあって、かなり不安なスタート。今も決して「とても楽しい場所」ではないようだけど。「あと何回寝たら休み?」としょっちゅう聞いてくるので)

母として、重いランドセルに、サイズが合わない制服に、長時間マスクに…と「(今の学校のシステムならば)学校なんて行かなくていいよ」と言ってしまいたいくらいな気持ちでいました。とはいえ、働いているので学校には行ってくれないと困るのだけど…。

幼稚園時代、「発達障害」の疑いがあったこともあって…小学校生活、心配でした。

幼稚園のときは、毎日の送迎で先生と会い、終わりの時にはその日の様子を直接伺うことができて、幼稚園生活の様子がしっかり見えていたけれど、小学校に入ったとたん、ほとんどわからないんですよね。

担任の先生がどんな方なのかも。

ただ、娘は「今日〇〇くんがね…」などと学校のことを進んで話をしてくれるので、大丈夫なんだろうなと思いつつ…。とは言え、学校について知っていることが少なすぎる。

そこで、学校の用意している「教育相談」を活用することにしました。

予約して、心理カウンセラーや担任の先生と面談できるというものです。

私は心理カウンセラーの方を希望しました。

そして、先週1時間ほど対談。

この1時間で、見えてきたことがありました。“思いの出口の必要性”です。

私自身が、話を聞いてほしかったということと、

自分がしてきたこと、思ってきたことを他の人に話すことで、話が“返って”(≒コメントが)きます。娘に対し、他者の目線を知ることができるということ。

これ、とても大切でした。

コロナ禍で仕事もしていて…となると、幼稚園とは違い、自動的に子どもが家に帰ってくるので、同級生のお母さんたちと会う機会も話す機会もほとんどゼロ。

だから余計に。

この週末は、地元の図書館で同クラスの男の子親子に会いました。その子のお母さんとは初対面でしたが、外に出ても子ども同士が仲良く遊び始めたので、遊びを見守りつつ、そのお母さんとしばらくおしゃべりを楽しみました。

「そうか、そうか。子どもは子どもで仲良くやっているんだな。先生から電話もないし、連絡帳に何か書かれていたわけでもない。小学校でまぁまぁうまく生活しているんだな」

このお母さんと話をして気づいたことです。

同級生あるいは年齢が近い子ども同士の様子を伺い知る機会もやっぱり必要。

(参観日とか、運動会とか、コロナ禍で失われているけども)

自分の子どもではあるけれど、子どもには子どもの世界があって、娘ならではの価値観もすでにあるのでしょう。

やや冷ややかな表現ですが、娘であっても「他人」。

親から、幼稚園から、友達から、そのほか娘には娘の“培われた6年間”がすでにあるのだから、私とは価値観だって異なるところもあるはずだよね。

母さん、4月からずっと心配だったけど、心配な気持ちを抜けたよ。

もうすぐ7月。夏休みも近づいて来たね。

そうだ。楽しい夏が待っている。

4件のコメント

小学校って一気に様子が分からず心配な気持ちになりますよね
わたしも長女が入学したては、白川さんと同じように想いました。
私が把握できない時間ができて、娘だけの人生を歩み始めているんだっと寂しい気持ちにも。
当たり前なんだけど、母として第二ステージに立った気分でした。
相変わらず素敵な景色でいつも癒されています

お久しぶりです。
白川さんは我が子の心に焦点をいつも当てながら過ごされてきたので、我が子を観察される目を育てておられます。
そして1年生になっての景色が変わったことが親子においても見知らぬ世界へと進む予感がしますよね。
そんな折に心理カウンセラーとの接触を選ばれたことはよかったなと思いました。
発達障害という性質もレッテルを張り付けたままでは、大人や子どもの世界を狭める危険性があります。
だから少しずつ我が子のできていることを認めていけたら可能性も広がると信じてくださいね。
あなたなら既にそう思っていらっしゃることを承知でコメントしたくなりました。

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ABOUT US
白川奈保
埼玉出身、2013年~香川へ。介護職の夫と、小学生の娘と、インコのとっちゃんと暮らす。 日常は、介護、医療、福祉に関するフリーの物書きとオーガニックなお店の店員。 好きなもの:沖縄、南米、高校野球、音楽いろいろ。 FB、物書きとしてのネームは「向田奈保」です。