お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

勝手に宮城県角田市をPRしているものとして、うれしかった話

生まれた町が宮城県角田市。
ただそれだけ。
高校を卒業して横浜に来たので、たったの18年間しか住んでいない。
すでに横浜での生活はそれを上回っている。
でもなぜだろう、こんなに自慢したくなるのは。

あたり一面田んぼしかないし、町を走っているたった一つの公共交通機関である阿武隈急行線は1時間に1本だし、
そろそろ市内の小中学校の統廃合が最終段階を迎えるそうで、もちろん私の母校はなくなってしまうのかもしれないし。(女子高はとうの昔になくなった)
だけど、子どもの頃に走り回ったあぜ道とか、遠くに見える蔵王連邦とか、神社の裏山に誰かとつくった秘密基地とか、
記憶の中の景色が今も私を支えてくれている気がする。

だから、感謝している。この町に。
人口はどんどん減っていると思うけど、いつまでも変わらないでいてほしいなと思う。
この町で生まれた希望の子どもたち。いつか立派にこの町を引っ張っていってくださいねと思う。
だから、ここで子育てをしているお母さんたちに、ありがとうという気持ちをたくさん持っている。

ほんの少しだけど、お母さん業界新聞を母が配ってくれているのがとてもうれしい。
そして、先日、同級生に声をかけて、集まってもらって、みんなに持ち帰ってもらった。
ちょっと異例の折々おしゃべり会だ。

でもそのことが縁で、私のお友だちに、インタビューの機会ができた!

家族と地元家族と地元を守れる男を目指して 菅原忠義さん(角田市)を守れる男を目指して 菅原忠義さん(角田市)

そしてさらに、彼が、角田市役所の子育て支援課に新聞を届けてくれた!

先月配架した分はあっという間になくなったみたい。
きっと、市内のお母さんに渡ったんだ。
そう思ったら本当にうれしくなった。

私は角田市をPRしたいのか、お母さん業界新聞を伝えたいのか、
どっちでしょうか…?
実はその両方が叶う素晴らしい企画が、お母さん大学なんだよって、
早く行政の人たちが気がついてくれたらいいのだけど。

もう少し時間がかかりそうだけど、私はがんばって伝え続けたいと思っている。