お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

お母さんと花火

編集部から、横浜みなとみらいの花火がきれいに見える。
先日、花火大会があるとは知らず、突然の大音響に驚いて窓を見ると、美しい花火が夜空に舞い上がった。
サプライズのご褒美をもらった気分。

花火には数々の思い出がある。5歳の頃、知人のおじさんに花火大会に連れていってもらった。
恥ずかしくて「おしっこに行きたい」と言えない私は、おもらしをした。
そこに母がいなかった寂しさと、足をつたう生あたたかい感覚と屈辱が、今も残っている。

祖母と二人暮らしをしていた小学生の頃のこと。アパートの2階の窓から花火を見ていたとき、椅子に腰かけ、煙草をくゆらせながら眺めていた祖母が、静かに倒れた。脳溢血だった。大事には至らなかったが、子ども心に恐怖を感じた。

33年前、病床にいた母は、花火の日に私に遺書を書いた。「八月七日、花火大会です。敦子(孫)に見せたいなぁと思っていたら、ちょうど電話で敦子の声を聞き涙が出ました。

ママも五十二歳、体が悪く、何時死ぬかわからないので、一筆手紙を書いておきます…」。母の涙で、インクの文字が滲んでいた。

12年前、はじめて孫に花火を見せたとき、1歳の孫は大きな音にビクつきながらも、目をまんまるくし、じっと花火を見つめていた。私が見ていたのは、花火ではなく、彼の目の向こうにある花火の美しさ。

先日、2歳の孫娘と花火を見た。はじめての花火をどう感じるのか、楽しみだった。私にしがみつきながら、こわごわ花火を見ていた彼女、小さな声で
「キレイ」とつぶやいた。女の子だなぁと思った。

今の事務所に決めたのは、海が見えるから。けれど、まさか、その海からこうして花火を見ることができるなど想像もしていなかった。なんだかこの場所も、母が、私のために見つけてくれたような気がした。
花火が、私の夏に彩りを与えてくれている。

7月30日、活動30周年を機に社名を変更。その名も「お母さん業界新聞社」。お母さんだからペンを持ち、ずっと新聞をつくってきた。30周年ではなく、30執念のお母さん業界新聞だ。

夏の夜空に浮かぶ花火のように、パッと咲いてさっと散る。そんな人生のシナリオを描いている私だが、わが子や孫たちは、花火を見て私を思い出してくれるのだろうか…。
(藤本裕子)

(お母さん業界新聞201908/百万母力コーナー)

2件のコメント

藤本学長
先の事が気になりますね。 特に花火は人気のイベントです。
誰にもひとつやふたつのサプライズがある事でしょう。
パッと咲いてさっと散る は、日本人らしさなのかもしれません。
私もそうありたいです。 「遺言状の書き方」なんて本も出ているようです。
正の遺産が有れば残してあげたい。負の遺産は残さないように と思っても DNA は変えられません。
増してや資産や負債も何も無い私など 静かにフェイドアウトしたいと思います。
大阪は淀川の花火大会が有名ですが、高槻からは遠く 音もカケラも見えません。
海側の大きな窓から見える花火をお孫さんと三代で見れるのは有難い事ですね。
きっと 亡きおばあさまやお母さまのお導きなのかもしれないですね。
まだまだ大仕事が残っている様です。お身体ご自愛されて もう30回は見てください。
その時の投稿を楽しみにしています。 頑張りましょう!!!

つみさん。

コメント、ありがとうございます。
>まだまだ大仕事が残っている様です。

あら、あら、つみさん、他人事のように。
ここにいるつみさんも、お母さん業界新聞社の大切なチームですので、
これからも、よろしくね。
花火のような最後を迎えるために。

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