「はじめての日」を手話で歌おう!

お母さん大学恒例「お母さんの夢に乾杯イベント」。今年ははじめてのオンライン開催。
7/23~29を乾杯ウィークとし、迎える7/30はどんな乾杯になるのだろう。
メインコンテンツの一つ「はじめての日手話歌」プロジェクトを紹介。
全国のお母さんと心ひとつに乾杯するために…。詳しくは、お母さん大学サイトで。

二度と戻らないあの日

「はじめて小さな命が宿った日を覚えていますか」「はじめて胎動を感じた日を覚えていますか」と「はじめて」を繰り返す、ちょっとしつこい曲「はじめての日」が生まれたのは今から10年前のこと。

お母さん大学サイトにある『お母さんたちへ』の詩に感動した。曲を書かせてほしい」電話は作曲家の中村守孝先生。当時を振り返り、藤本は話す。

「お母さんたちへではなく自分への問いかけでした。3人の娘たちはかわいかったけれど、当時は仕事に夢中で『はじめての日』もほとんど覚えていません。書きながら涙があふれ、どんなに悔やんでも、わが子のはじめての日は戻らないことを実感しています」。

メロディーが完成し、そこから歌手ダ・カーポ(榊原政敏・広子)さんの歌声でお母さんの応援歌としてCD「はじめての日」が世に出るまでに、時間はそうかからなかった。

10年前の7月30日。400人のお母さんを集めて行った乾杯イベント。お母さん大学音楽科チームによる合唱に続いてダ・カーポさんの生歌が披露されると、会場にいた誰もがこの歌の力を実感した。

ステージで政敏さんはこう話した。「連日の虐待ニュースに広子と心を痛めていました。どうしてこんなことが起きるのか。どうしたら小さな命を救えるのだろう…。そのときこの歌と出会い、運命を感じました。藤本さんは新聞でお母さんを笑顔にする。ぼくたちは歌うことでお母さんたちを応援できたらと思います」。

仲間とつながるために

藤本裕子が新聞をつくり始めたのは1989年。3年後に始まったのが「お母さんの夢に乾杯イベント」だ。

当時はITもなく手づくりの小さな新聞。だが、お母さんの夢を叶える新聞として少しずつ広がっていた。立ち上げは成田市だったが、夫の転勤で事務所兼自宅は横浜へ。そこから全国に仲間が増えていった。インターネットもない時代に仲間とつながる方法として考えた企画。「7月30日7時30分、仲間と心ひとつに乾杯!」だ。

コンセプトは「お母さんの夢」。お母さんが子育てをするのは当たり前。がんばっても誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めてあげよう。そしてお母さんも夢を持とう! なぜってそれが明日からの笑顔につながるから。「子育ては我慢の時」そんな考え方、生き方が当たり前の時代だったからこそ、これだけ長く、お母さんに笑顔を届ける新聞を、夢に乾杯するイベントを、続けてこられたのかもしれない。

お母さんの一歩

年に一度全国の仲間が横浜に集まってくる。夜7時30分の乾杯だから遠方の人は泊り。だとしたら子どもを連れてくるか、(誰かに見てもらって)おいてくるか。ここはお母さんの一歩として大切なところ。イベントに参加したお母さんは言う。

「一歩踏み出せなかった理由は自分の中にあった。世界はこんなに広くて自由なんだと知ることができた」。横浜に来ることが家族公認になると、母が旅をする日、お父さんと子どもは「遠くで夢を描く母を思う日」となった。
はじめてのリモート乾杯!

コロナにより、はじめてのオンライン乾杯。家にいながらにして乾杯イベントに参加することができる。だが今年は平日で学校や幼稚園もあり、働いているお母さんは仕事もあるという。でも年に一度の特別な日、仕事を休むなり家族に外食をすすめるなりカレーを食べてもらうなりすればいい。そうして、7月30日7時30分は画面の前にドリンクを持って集合。全国のお母さんが一斉に、がんばっている自分に、夢に乾杯!だ。

手話歌プロジェクト

「はじめての日」を手話で歌うプロジェクトが始まった。 お母さん大学生の中に聴覚障害をもちながら男の子4人を育てているお母さんがいる。松本茉莉(左上)さんは聴覚障害者と聴者の交流の機会をつくる団体「きこえないママ×まちプロジェクト」を主宰、またお母さん記者としても「お母さん業界新聞たねまき版」をつくり地域をつなげている。

松本さんの誘いでお母さん大学に入学した杉本蘭さんは1歳の男の子を育てているきこえるお母さん。3年前、松本さんに手話を習い始めたのを機に「きこえないママ〜」で共に活動してきた。「手話も子育ても、大先輩の松本さんに教えてもらうばかり。でも手で話せるのは楽しいです」。

そして、そんな2人を日頃から間近で見ていた、横浜版編集長の植地宏美(右上)。「2人が手話で話している姿は美しく、それが『はじめての日』を手話で歌いたいと思った、純粋な動機です」。

お母さんに共通する思い

手話歌が聴者たちの表現となっていることに異を唱える方もいると聞くが、植地の率直な思いを聞いた2人は協力を快諾。手話動画の制作には、植地も加わった。

「松本さんが考えた手話に杉本さんが率直な意見を伝えすり合わせていく。松本さんにとって手話は生活に必要な言葉。そこに杉本さんが音に合わせ、歌詞の意味を別の角度から考え手話を組み合わせる。

たとえば『小さな命が宿った日を』を手話にするとどうしても違和感があると松本さんが悩んでいると、杉本さんが『お腹+赤ちゃん+来る』という手話はどう?と提案する。やりとりを見ていて感じたのは、歌詞を手話に置き換える過程では、詞やそれに込められた一つひとつの意味を、深くとらえていく必要があるということでした」と植地。

きこえる、きこえないにかかわらず、すべての母に共通する「はじめての日」の思い。皆でそれを共感し合えたら、最高の時間になるだろう。

今月行うお母さん大学乾杯イベント。テーマは「ウィズ/アフターコロナ時代を母として生きる」。お母さんの究極の願いはわが子の笑顔。「はじめての日」を通してその思いを共有するプロジェクトが、7月30日小さな産声を上げる。

生まれつききこえない私に
できることは何だろうと考える

ろう学校に入学したが、小3で普通学校に転入。中学では友人関係に悩み、この頃が一番苦しかった。辛い気持ちから救われたのは、ペンを持ったこと。次第に書くことが楽しくなってきて…あるとき点字教室に参加した体験談がコンクールに入賞。この
ことが今につながっているのかもしれない。

大学では心理学を専攻。手話を覚えてくれたり、文字で通訳してくれたりする友人の助けも得て卒業。アパレル会社に就職後3年目で、同じく耳のきこえない夫と結婚。長男を授かったときも不安はあったが、夫と2人「たとえ障害をもって生まれてきても、なんとかなるだろう」と思えた。

きこえる息子たち(中1、小5、小2、3歳)とは手話や身ぶり、口話などで日常生活を送っている。私は口の動きから言葉を読み取って話せるが、長男が小さかった頃は困難やもどかしさもあった。泣き声に気づけなかったり意図を組み取れなかったり。

何よりほかのお母さんたちとうまくコミュニケーションできず、子育ての悩みを共有する機会がないことが苦しかった。そこで、聴覚障害のある母親や、手話に関心のある聴者の母親らが集まる交流の場を始めた。自分にできることは、聴覚障害のある母親と聴者の母親をつなげる場をつくることかなと思う。これからも、きこえない母親が地域で生活しやすくなることを目標に活動していきたい。

母が負けず嫌いな性格で、「きこえなくてもがんばれ!」と育てられた。最近私も、そんな母の影響を受けているなと感じるように。母から子へ、孫へと受け継がれていくのだろう。


(文/植地宏美)

ABOUTこの記事をかいた人

編集部 青柳 真美

お母さん大学事務局兼編集部。お母さん業界新聞副編集長。みそまる普及委員会代表。みそソムリエ。宅地建物取引主任者。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。おっと、忘れちゃいけない大事な仕事が、藤本学長のツーヤクとカイゴ。家族と仕事以外に、私の人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/食後のコーヒー。息子1人(27歳)。