お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

3月号宿題その2◆MJ30「うちのPTA」

母たちのユーウツの一つといってもよいでしょう。
新学期の足音とともにやってくる「PTAの役員決め」の儀式。

世の中が変わりつつある今ですが、
なぜかここだけは、前年踏襲型の悪しき体質が残っているようで…。

わが子のためと知りながら、
「できることなら避けて通りたい」お母さんが多いのも事実。

というわけで、
皆さんの学校のPTAはどうですか?

3月号のMJ30のお題は
ズバリ「うちの学校(園)のPTA」

・うちのPTA、こんなん!
・これでいいの?
・ちょっといい話
・ありえない話……

保育園、幼稚園、小・中・高…
現在進行形の話も、昔の話もOK
PTA体験談、珍事件、苦労物語、七不思議など
PTAにまつわる話で盛り上がりましょう。

普段は本名ですが、
今回は、匿名またはペンネーム、ファーストネームもアリ。
希望者は、その旨を明記してください。

例)
・1時間の軟禁会議/小学校の役員決め。決まるまで1時間クラスの保護者全員軟禁状態。最後は大じゃんけん大会に。負けるなら最初から立候補すればよかった、トホホ。

・プロ仕様/保育園の卒園アルバム委員に本物のカメラマンのパパがいて、その学年だけ、超立派なアルバムが完成。次年度の委員、プレッシャーだな?

★8ページのMJ30なので、文字数は60~80字。
★回答は1本に1ネタ、複数回答歓迎です。

★本名で書きにくい人は、匿名またはペンネーム、ファーストネームあり。

★回答は、この記事のコメント欄に記入

または直メールで、info@30ans.com へ。
(1)お母さんの名前
(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
タイトルは「PTA/名前」でお願いします。

★お母さん大学生以外の方も回答(宿題参加)いただけます。
※掲載紙を郵送しますので、名前、〒住所、ケータイ番号、アドレスを書いて送ってください。

★締め切りは、2月15日(月)

どうぞよろしくお願いいたします。

(編集部)

22件のコメント

ちょっと面白い話題が思いつかないのですが。。。。

教養委員に関わったおかげで、地域のプロジェクトのすごさを知ることができました。この歴史を知ったときに感動しました。それ以来、ずっとできるかぎり教養委員長をさせてもらおうと思っています。

●人権フェスタはスゴイ!/学校、地域、保護者が連携して、小1から中学3年まで少しずつ人権について学ぶプロジェクト人権フェスタ。

●PTAはチャンレンジの場/PTAは出会いの場。自分の力を試せる場。いろんな環境のはじめて出会うお母さんたちと、どう1年間楽しんで活動できるのか、いつも自分のチャレンジのン場にさせてもらっています。

いくらでもあります。

・チャットでやろうよ/メールもスマホもない時代のままの子ども会。しかも個人情報保護法とやらで名簿が廃止になった。LINEはごめんなさい、のようなお母さん多数!どうやって活動するんだ〜!?

・感動の一言/「煩わしいかもしれないけれど、さまざまな家庭環境があるから、せめて子どもだけでもなんとかして地域に属してもらうんだ」と言っていた人の言葉が胸に刺さる。

・よかれと思って/役員決めで誰も手をあげないから仕方なく名乗り出た。私なりに役割をこなしたつもりが、「出しゃばり」と陰で言われていたことを知った時の悲しみは忘れない。

○ママ友を作ろうと思ったけど/友だちができたらいいなと保育園の保護者会役員に。でもほとんど先生がやってくれて、年に数回の会議だけ。物足りないし、あまり仲良くもなれなかった。
○地獄の委員決め/私じゃないんだけど、友だちが役員として委員決めに入ったクラスでは、「委員にならないと言いに来ました」という人たちが数人。1時間かけても終わらず、決めきれずに閉会。役員側の苦労もわかってほしい。

わたしはまだやったことなくて

想像の世界ではあるのですが
春から小学1年になるので

PTAとかやっとこうかなと思いつつ。

まずは先生と仲良くなれる
→ここのコネクション大事笑

ママ友できるかも?
→ママ友がほとんどいないので、、

友人が来年度の副会長されるそうなので
知ってる人がいるうちにやろうかなと。

→すでに校内のボランティアには誘われててやる予定笑

なのでめんどくしもあるけど、
そこまで怖さはないなと。

ちなみに同じ幼稚園のお母さんでPTAの役員やってる人も
いるので(すでに卒園されてる)
なんとなく不安はないです。

こうなったら母としての経験値を上げるために頑張ろうと
いう感じでおもってます。

でも入ったらどうなるかわからないけど笑

MJ30じゃ、収まりきらない!
小学校のPTA副会長になって4年。今までのPTAを変えたい!と試行錯誤中です。

先生と本気のソフトバレー/年一回ある小学校対抗の試合。週一回、夜の体育館を借りて先生たちと本気の練習。それまでの先生たちのイメージが崩れて一気に仲良くなった。やっぱりスポーツは垣根を越える。

懇親会だって楽しんだもん勝ち/今まで夜に行われていた委員懇親会。そのせいで参加者が少なかったので、土曜日の昼間に開催してみた。いつもよりちょっとだけ良いお弁当&ケーキと飲み物付き。間で先生も保護者も一緒に心理テストや、手品が得意な先生のちょっとした余興など。前に出るのが好きな仲間がいたので、一緒にネタを考えて、当日は大盛り上がり。PTAだってどうせやるなら楽しんだもん勝ち。

委員決めは気が重い/やりたくない人が多いPTAの委員決めだけが億劫。立候補が多いクラスはすぐに決まるが、そうでないクラスの重たい雰囲気。くじ引きで決まった人にお手紙を出し、クレームが来たらガッカリ。この委員決めさえなければ仕事は楽しいのにな…。

PTAのネーミング変更/隣の小学校はPTAのイメージを変えるため、「子ども会」にならって「大人の会」へ変更。役員だって色々試行錯誤して、改革しようとしている。

PTA会費って何に使われているか知ってる?/意外と使い途が知られていない会費。学校側が買えない備品を、代わりに購入している。運動会に必要な法被や、テント、玄関マット、花壇整備など…先生たちも子どものために買ってあげたいけど買えない物を、結構PTAで購入していることを知って欲しい。

まさに本日、あと一時間半後、PTAの役員決めに行って来ます。生徒数が少ないので、どこかの学年で、必ず何かの役員にならざるを得ない。そのため、みんな、低、中学年で早々に立候補して役を終えておこうとするんだけど、私、、、ぽや〜んと5年間過ごしていたら、まさかの、“私だけ何もしていない人”になってました。絶対、私、6年生最後で、初めての役員になるやーーーん。絶対、今日、私、何かになるやーーーーん。やーん。やーーーーん。
もう、、腹はくくってるんで、何かになったら、先輩の教え通りに勤しみますよ。

で、その先輩の教えとは、

PTAの役員になったら、

イチに、荒波を立てない。

ニに、前年と同じことをなぞって、つつがなく、何も起きないことがベスト。前年を下回らず上回らず。
 
そして、サンに、名前は覚えられないこと!印象薄く!薄く!なるだけスケルトンで!

私 あのぉ〜、、

(;´∀`)なんか、、もうそんなPTAなら、なくなってよくないっすか?

先輩「うん。みんなそう思っとるけど、あの代でなくしたっていうあの代にはみんな、絶対なりたくないとよね。。。。」

わかる気がします。。。

結果報告

学校のPTA新聞を作る「広報委員」になりました。

次女が1年生の時にやった委員。次女の時は、誰も作ったことのないような中身の濃い、お母さん業界新聞のような泣いて笑えるあったかい新聞を作りたい!と燃えていましたが、違う違う。先輩の教え通り、長女での初めての役員では、可もなく不可もない昨年のものなのか、10年前のものなのか見分けがつかないくらい、今までと一緒の新聞を作ります。

そう!私の先輩とは、次女の時に広報委員になった2年前の私のことでしたー。

息子、年長。
毎年PTAの読み聞かせや、子どもの運動会のお土産準備などボランティアに参加しています。
会議や下準備をしてくださる役員さん達にとても、感謝しています。
来年度は、娘が幼稚園に入るので、クラス役員に立候補しようと思っています。

やる気満々PTA/長男が年中の時に幼稚園のPTAをやりましたが、メンバー全て立候補で決まりました。やる気のあるお母さんばかりが集まったので、何もかもがスムーズに進み、とても楽しかったです。当時の会長の力量もあったのかな。

毎年恒例/幼稚園の役員は、クラス役員とベルマーク役員だけ。毎年、クラス役員が決まらず、重たい空気が流れるのに、ベルマークはじゃんけんするほど立候補者多数。それなら、クラス役員にも立候補してよ!と思う。

横浜市PTA連絡協議会:常置委員(区で5名)の事業研修担当/区で持ち回りの7年に一度巡ってくるという役員をやった。定例会が通常土曜日であることが決め手となり引き受けた。主な活動内容は、市P連主催の3つの行事運営。①三行詩コンクール②PTA音楽交歓のつどい③山下公園ファミリー写生大会 実際に係わるまで知らなかった行事も。もったいなかったと思った。②の運営に携わり、3日間開催。どのチームも日頃の練習の成果を大いに発揮し、素晴らしい歌声とパフォーマンスで観客を魅了、ゴスペル、アカペラなどもあり、私も感動。やりがいのある役員だと感じた。今年度はコロナ感染拡大により中止で残念。すべての人たちの活動が1日でも早く通常通りに戻りますように。

やる学年により異なる役員の負担/1年生の学年係の2名は難なく決まる。仲良しママが結託し目配せしながら立候補するから。4年と6年役員は敬遠。両学年はプラス行事ありのため。4年では2分の1成人式、6年では卒業式。でも負担に思うのか、やりがいを感じるのかは本人次第。

PTAお手伝い制/新学年になったら、毎年プリントが配布され、役員でない人は、どれかに〇をして提出。運動会お手伝い(学校周辺の防犯見回りや運動会後の片付け、給食エプロンのほころび直し、カーテンの洗濯などあった。うちは旦那に運動会の手伝いを任命した。

高校役員(3年ぶっ通し)決め /入学式閉式後、出口がピシャリと閉められる。クラス単位で保護者が輪になり役員を炙り出す。前方のホワイトボードにクラス選出役員が決まった順にチェックが入り、全てが決定したら晴れて新クラスで待つ子ども達のもとへ解き放たれる。私はひたすらうつむいて、挙手してくれた方々から放たれる後光が眩しいかった。

PTA保険/長男が宿舎の前で自転車に乗っていて、道路に面して駐車していた車のボディーに1本す~っと傷をつけてしまった。支払った修理代は6万円。忘れかけた時、この保険で賄えたことを知った( ;∀;)当時は全生徒がもれなく加入となり手続きはPTAが団体で申し込んでおり、ほぼスルーのため無知だった。

親が色々役員を引き受けていたのに、実際目の前にきた時の憂鬱感。
誰も知らない見知らぬ所からのスタートでした。
知らないことの不安をどうしたらいいか悩ましく思いながら、この先つきまとう問題だと感じて逃げようとしても
逃げれば追われると観念し、学級委員からはじまりました。役員になり書記経験から便りを出し、中学校では出会いに恵まれ
コーラス部立ち上げやPTA規約改正なども経験しました。行動すると必ず出会いがあり、協力してもらうこともあれば、揚げ足をとられたりや陰口も
聞こえたりでかなり社会経験値が広がりました。
居心地のよい場所だけでは人間力はつかないのだと今ではよくわかります。

10年前息子殿の中学校のPTA役員をしました。
その学校は私学で 息子殿の代で6年目しかし
いつも定員割れになって中学校の経営がうまくいかず撤退。
中ニの時に募集停止が決まって、PTAの解散の作業をしました
学校との折衝やPTA規約変更や、臨時総会の準備とか
経験できないことをいっぱいしました。
息子殿が附属の高校には上がらないと聞いたときは
これでしがらみが切れるとホッとしたのを覚えています。

PTA活動に参加してから、今年で7年目。
いつの間にかPTAの運営側として儀式←(我が校は「やりましょうカード」という立候補用紙を配布します。)を行う立場になっていました。
きっかけは、こちらに引越して間もなくだったため、知り合いを作りたいと、長子が1年生入学のタイミングで参加。
最初はわからない事もたくさんありましたが、小学校での子どもの様子が見れたり、委員の皆さんと和気あいあいと活動ができ、知り合いもたくさんでき、楽しく活動できました。やってみると意外と楽しいのが、思わぬ収穫。
広報委員長などを経て今は副会長ですが、コロナで今までのような活動もできず、大した仕事はしていません。学校との関わり(特に担任以外の先生)が多くなるので、先生たちとの絆ができてとてもやりがいを感じています。(でもそろそろ卒業かな…笑)

友だちのを代筆します。
PTA会長までやらせてもらいましたが、良かったですよ。
最初にPTAに誘われた時は、ちょっと面倒くさそうだなぁと思いましたが、
やってなかったら、学校や子供の教育にも無関心だったと思います。
一人じゃ出来ないことを、みんなに協力してもらって子供たちや学校や地域の環境を考えたりして。
協力してくれた人たちに感謝の気持ちしかないです。人間的にも成長させてもらいました。
負担と感じるなら、やる事を減らしてもよかったかなぁ。会長としては、みんなさんに参加しやすいようにもう少し変えたかったですけどね。
(権藤明夫)

PTA保育園の時に11年間で、3回しましたが年長の親が会長副会長にならないと行けないのでなかなか上がらない年もあると聞く。私は娘息子共に年長の時は手を挙げた。何故かというと娘の時は仲の良い保護者が会長に手を挙げてくれたからサポート出来たらと思って手を挙げた。保育園は役員会はお昼寝してる土曜日のお昼時間にしてました。役員の仕事も秋祭り、運動会のお手伝いするぐらい。あとは年一回の保護者会にでるだけ。
小学校にあがり入学式の時に役員決めクラス委員を決めるのはドキドキでした。
娘が3年の時にクラス委員に手を挙げた。教養委員会に、実際やってみると色んな大変、でも一番大変なのは会長、副会長と実感した。
うちの地区は日曜日参観の日に地区文化祭としてバザーがある。教養委員会の一番大変なとき。バザー品集めや仕訳、文化祭前日当日は朝から夕方まで学校で準備や片付け。でも楽しかった。

うちの地区はどの地区も子供会がある。
子供会の、役員決め賀、一番大変。
なるひとがいなければあみだくじになる。
なるべくしてない保護者からで高学年からだ。
副会長になったら2年縛りで会長に自然にあがる。
ここ数年そうなったがそれまでは3年縛りだったからなかなかなるほどいないし、子供の数も減ったからだとおもう。子供会の、役員もやったが私は楽しかった

校長先生の真正面で居眠り母さん
これは、私の話。小学校のPTA役員会は、午後7時から。とりあえず、夕飯食べて出席すると、とにかく眠い。皆さんの声が心地よく、終わった後、ママ友にいつも、また、寝てたねと言われてました。

宿題今頃デス
上のこどもの時は嫌で嫌で仕方なかった役員
回りに聞いても大変だから…と聞いてて私の中ではかなりの覚悟が必要だった役員
下のこどもの時は覚悟を決めて幼稚園、小学校、高校としました いい友達ができで今でもずーっと続いています やってみたらなんか楽しくてこどもと一緒に幼稚園に行ったり学校に通ってる感じでした 大変だったから楽しかったんだと思います 時々差し入れにくれる先生のチョコが何よりの楽しみでした

PTA活動は、幼稚園からスタート。お母さん歴の浅い当時の私にとって、目からウロコのことばかり。
育児やしつけ、料理に趣味。先輩ママの言葉にどれだけ助けられたことか。
その後もずっと続いていて、今では高校のPTAに携わっています。
小学校PTAの頃、仕事が忙しく、役員会に参加できない時がありました。「なぜ参加しないんですか?」と、副会長のキツイ言葉。
胸に突き刺さりました。シングルマザーの私にとって、生活のためには仕事がまず優先なのに・・・。
時は過ぎ、その後、会長の役目を任されることに。そこで旧体制を大改革。お母さんが笑顔で参加できるよう、工夫しました。
今では、「お母さん、お父さんのために、変えていい」という風土が定着しているようで、嬉しい限りです。

パパがカイチョー
生徒数が少なく、親の出番もも多いです。
父親が携わる風潮で、今年度は夫がPTA会長をすることに。
応援はするけど、スポ少バレーの監督もしっかりたのむよー。
                樺澤恵美子

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ABOUT US
編集部 青柳 真美お母さん大学本部
お母さん大学事務局兼お母さん業界新聞本部編集部。お母さん業界新聞編集チーフ。みそまるマスター。みそソムリエ。宅地建物取引士。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。家族と仕事以外に、人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/甘いもの。息子(30歳)、孫2人。