お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

3月号宿題◆特集「受け継がれる母の味」

三連休ですね。いかがお過ごしでしょうか。
早いもので、新聞はもう3月号の制作です。

今回は「受け継がれる母の味」をテーマに
レシピや思い出、エピソード、また思いなどを綴ってほしいです。

さらに今回は、ペンを持つだけではなく、箸を持っていただきます。
そう。母の味を思い出しながら、つくって、食べていただきます。

母の味を、わが家の味にして、日頃からよくつくっている人もいるでしょう。
母の味は再現できないからと、諦めている人もいるのかもしれませんが。

ぜひこの機会に、懐かしい母の味に挑戦してみてください。

つくってくれた人は、ぜひ、写真も投稿してください。
また、懐かしい昔の写真がある人、
今もおばあちゃんがつくってくれる人は、おばあちゃんの手料理の写真でもOKです。
料理の写真、食べている写真、食卓の写真、
お母さんや家族の写真など、お待ちしています。

例)

〇子どもの頃、お母さんがつくってくれた卵焼きは、しょっぱかった。それが、わが家の卵焼きの定番になった。子どもたちは、甘い卵焼きに憧れるみたいだけど、私は、塩味のちょっとしょっぱい卵焼きを食べながら、台所で、亡き母と会話している気になります。

○母の味といえば、しょうが焼き。「毎日しょうが焼きでもいい」くらい、大好きでした。ポイントは玉ねぎをすりおろした甘目のタレ。下味をつけ、最後はタレで煮詰めるように焼くのが決め手です。失敗ナシの時短料理。私も、ほぼ同様に再現できていると思います。

〇カレーは、いつも豚肉の薄切りにバーモンドカレーだけど、ある日、私が同じようにつくっても、母の味にならなかった。そのことを母に言うと、隠し味に味噌、醤油、ソースを入れていると。もちろん、今、私がつくるカレーには、その3味が入っている。わが子にも伝えたい。

◆投稿ルール
・本名発信
・「母の味」と書いてください
・文字数制限なし
・コメントや箇条書き、記事化もOK、自由に書いてください
・複数投稿あり
※適宜編集させていただきます

◆写真(ある人は)
・内容に合うリアルな写真歓迎
・写真なしでもOK

◆投稿方法
いずれかの方法でお願いします。
・この記事のコメント欄に記入。
・ブログ記事として投稿し、コメント欄にURLをリンクする。
・直メールで、info@30ans.com へ。
この場合は(1)名前、(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
件名は「母の味/名前」でお願いします。

◆投稿できるのは
・お母さん大学生ほか、それ以外の方も投稿(回答参加)いただけます。
・「お母さん業界新聞3月号」(3/1発行)に掲載させていただくことがあります。
・お母さん大学生以外の方には掲載紙を郵送しますので、
名前、〒住所、ケータイ番号、アドレスを書いて送ってください。

◆締め切り
2月15日(金)
2月17日(土)に延長!
タイトなスケジュールですが、よろしくお願いします。

19件のコメント

今回のお題、そういえば、私には「母の味」がないのです(笑)
皆さんの「母の味」楽しみにしてます!

私のは一風変わってますが、こんな食卓もあるんだという参考に。
果物屋をしていた両親、夜遅くまで開けていたので、
母のご飯づくりは仕事の合間に台所にやってきては
またお客さんが来て呼ばれ「あ、いらっしゃ~い!」と出ていく、のくり返し。
お休みの日以外は、家族揃って落ち着いて食べるなんてほぼなかったような。
早くから下ごしらえをして、時間がきたら魚を焼いて…という光景は知りません。
母が台所に立つ時間は、手伝うでもなく、流し台前に横に並んで、
母の横顔に向かって必死でしゃべっていた記憶があります。
話の途中でいなくなるので、戻ったらまた続きを話して。
お客さんとしゃべる母の後ろ姿を恨めしく見ていたこともありました。

また、商店街のお付き合いもあったので
隣のうどん屋さん、市場の総菜屋さんなど、子どもの私が注文に行って
出前してもらう、そしてそこのお店の人が果物を買って帰るパターン。
商売人同士でお互い様の空気ですね。
また、釣りに行ってきた、旅行に行ってきた、田舎からたくさん送ってきた、
お寿司をつくりすぎたなどなど、常連のお客さんからのいただきものがほんまに多くて
献立を早くから決めれない、決めてもくつがえる、
そのときあったものを美味しくいただくって感じでしょうか。
「肉じゃがつくろうか思ったけど、ええ大根もろたから、大根でつくったわ」なんて日常でした。
ご飯はわが家だけのものではなく、ご近所の味だったのかも。

本当はもっと腕を振るいたかったのかもしれませんが
ご近所とのやり取りのとき、母は笑顔だったから、それはそれでよしとしましょう。

母の味といえば
『野菜たっぷりのスープ』

隠し味は”お砂糖”

そう聞いたので
愛情たっぷり、お砂糖を投入!

初めて彼氏に作った時には
甘すぎるスープが出来上がりましたが

今では、適量のお砂糖で
愛情たっぷりスープが作れます。

主人の料理の方が
基本的によく食べる子どもたちが
モリモリ食べてくれる野菜スープは
私の唯一と言って良い
得意料理になっています!!

アップルパイにチーズケーキ、美味しいおやつをよくつくってくれた母。
普段の食事も美味しいものばかり。名前が思い浮かばない料理もたくさん。あの魚の料理はどうやってつくるの?とラインで聞くこともしばし。
でも、今回浮かんだのは「すりおろしりんご」。ちょっとお題とは違うかもしれませんが、
いつも体調が悪くなるとつくってくて、これを食べると母のやさしい気持ちがつたわって、元気になる気がしたものでした。

巻き寿司

結婚した時は、母の巻き寿司を何とか自分も作れるようになりたくて、何回も何回も教えてもらいに行っていた。が、何度やっても上手に作れない。隣で母がやっているのを、同じように真似ているのに、母の味にならない。母の味どころか、普通の巻き寿司としても美味しくならない。おそらく、母の手から特別なうまみ成分が出ているに違いない。私は、到底、母の味にたどり着けないのですっかり諦めてしまい、この15年間くらい全く作っていない。どうやって作るのかも忘れてしまった。あ、あと一回、もう一回だけ、チャレンジしてみるか?・・・あーでも、失敗して、母の味にならないのが、怖いよ

マドレーヌ

母はよくお菓子を作ってくれたが、中でもマドレーヌは秀逸である。

子どもの頃はしょっちゅう、おやつにマドレーヌが出てきていたので、さほど有難みを感じず、パクパク食べていた。大人になって、あれほど美味しいマドレーヌにお目にかかれたことはなく、今度こそ母のと似ているはず!とパティシエが作ったものを食べてみるが、これが全然違う。無頓着に食べていた自分を恨めしく思う。

私は、出産した時、一番最初に母のマドレーヌが食べたい!と思い、病院まで作って持って来てもらった。先生から乳腺が詰まるから、バターと砂糖は控えるように言われたが、母の愛しきマドレーヌがそんな原因になるはずがない!と、病院のベットで目をつぶって一口一口大切に、ゆっくりゆっくり噛み締めて食べた。

だから、最初に作られた母乳は、母のマドレーヌ味だったと思う。

鶏の水炊き

鍋といえばこれ。冬になると、いや、なんならまだ暖かくても毎週のように登場していた。
地元のいわゆる「かしわ屋さん」で鶏ガラも仕入れて昼からぐつぐつ。締めは生姜たっぷりのスープと雑炊。
そして、翌日はそのスープを使ってチキンカレーまでが1セット。
いまだに帰省しても一度はこの味を食べたいとリクエストしている。

当の私はといえば、鶏ガラを買ったことすらない…。ハードルの高い母の味。

私は、お赤飯!
特別なことがあると絶対に炊いてくれている、お赤飯。
卒業式も入学式も。
受験で合格した日も!
社会人、初出勤の日も。
3兄弟なので、それぞれの大切な日に炊いてくれました。

結婚式の朝炊いてくれたお赤飯は、食べやすい小さめのおにぎりにして持たせてくれたことも。

そして、1年前。
3番目を出産後、里帰りをせずに育てていた時、風呂敷に包まれたたくさんのお惣菜。
その中にお赤飯も!
(庭からとった南天の葉も入れます)

そう。これ。
この気持ちがこもったお母さんのお赤飯が好き。
大切な節目に炊いてくれるお赤飯に、いつまで経っても娘の自分を感じます。

番外編〜
ちょうど宿題が出た時、実家で妹と一緒だったので、妹にインタビュー!
母の味は?
煮物かなー!
昨日の夜食べたねー!
しかもさ?母の味、進化してるよね?
教えて!って言っても、ぐるぐる〜っと!
ちょろっと!というあの調味料の感覚。
そして、ここ数年、父が切り干し大根と干し椎茸の乾物を作るようになったもんだから、
母の味に父コラボ!
まさに進化!

フレンチトースト
フルタイムで働いていた母は毎日遅くまで忙しく、朝ゆっくりする時間もありませんでした。
そんな母がたまに休みの日の朝食に作ってくれるフレンチトーストが私にとって母の味です!
食パンを4頭分にして、めちゃくちゃ甘さ控えめのフレンチトースト。
せっかちなので中まで液が染み込んでないこともよくありました。
私も余裕がある朝は息子にフレンチトーストを作ります。フレンチトースト=時間と心に余裕のある朝 というイメージで、私にとって怒ってないときの母の味という印象が強いです(笑)

奈良漬け

母が嫁いで祖母から受け継いだ伝統の味。
料理だとこれ!っていうものは思い出せないのですが漬物は唯一無二の母の味だな〜と思います。

実家ではお茶の時間といえば漬物が並びます。
里帰り出産のために実家に帰省した以来、毎夏少しずつ奈良漬け作りを手伝わせてもらってるありがたーい3年間です。

いつか全部1人でつくる日がくるのかな。
娘にもおいし〜と言ってもらえる日がくるのかな♪今年も習おうと思います^_^

母の味は「お雑煮」
私の母は、母親が病弱でほとんど母を知らずに育ちました。私と兄を育てながら母親ってどんな感じなのか手探りで子育てをしていたようです。そんな中で、母の故郷の北海道札幌のお雑煮には、どこかで食べた味を覚えていたようで、
記憶を辿りながら、お正月に札幌のお雑煮
を作ってくれていました。
餅は焼かない切り餅
出汁は、鶏ガラの濃い醤油に砂糖たっぷり、酒少々
具材は、鶏もも肉、人参、玉ねぎ、かまぼこ
とにかく甘いんです。玉ねぎが入っているのも
ならではでした。
今、母が住んでいるのは三重で
父親が亡くなるまでは、元旦は、三重の白味噌仕立てのお雑煮にで、2日が母の札幌のお雑煮でした。
今は、母の札幌のお雑煮になり、お雑煮を食べると母も故郷を思っていつも思い出話をしてくれるのが楽しみで帰省しています。
今度は、母に習って私が受け継いでいきたいと思ってます。

白い麻婆豆腐

他にはない、母オリジナルの白い麻婆豆腐。子どもが食べやすいように、辛くない。
材料も至ってシンプル。ニンニクの芽と長ネギの白い部分と豆腐と調味料(とろみ用の片栗粉含む)のみ。そもそもそれを「麻婆豆腐」と言っていいものなのか?(笑)でも他では味わえない母の味。

娘に「ママの料理って言ったら?」と聞いたら、同じ答えに。受け継がれています(笑)

母の味
私が、11歳の時に他界した母は、祖母(お姑さん)が台所を預かっていたので、あまり料理をする機会がありませんでした。
そんな母が、時々電気ポットでお湯を沸かして作ってくれたカップラーメンが、私にとっては、母の味かも。
小学生の私には、カップラーメン一杯を全部食べることができなかったので、母と半分分けして食べていました。その時の暖かい時間を思い出すと、今でも、お腹が一杯に満たされるような幸せな感覚になります。

親子丼

私の母が作る親子丼は、いつも干し椎茸が入っていました。干し椎茸のもどし汁を出汁として使って作った親子丼。玉ねぎ、戻した干し椎茸、鶏肉を香ばしく炒めて、椎茸出汁を入れて煮込み、醤油・砂糖・味醂で味付けして卵でとじる、シンプルな親子丼。ですが、椎茸出汁が良い仕事をしていたのか、シンプルながらとても美味しかった記憶があります。
忙しさを理由に横着して、いつも顆粒だしにお世話になっていた私。久しぶりに干し椎茸出汁で親子丼を作ってみましたが、やっぱり美味しい。なるべくできる時にはちゃんと出汁を取ろうと思ったのでした。

母の味だったのかな?祖母の味でもあったのか?
お稲荷さんは甘い酢飯に、甘いあげのお菓子のような味です。
運動会のお重のなかにも、遠足の弁当箱のなかにも、このあまーいお稲荷さんはいつも一緒でした。
いまも子供たちも大好きなこの味は、母の味となったみたいです。

ポテトサラダ

ポテトサラダは子どもの仕事!!と幼い頃じゃがいもが茹で上がると呼ばれていた。(母はその間に別の料理ができるからと)子どもは、じゃがいもを麺棒でつぶす係。卵をみじん切りにする機械も面白く、姉妹で取り合いしていた。マヨネーズはこれぐらい?まだ?と何度も確認しながら微調整。
ポテトサラダを母が作ろうと思うたびに、呼ばれていたから、結婚して自分で作って気がついたが材料もマヨネーズの量も身体にしみついていた。笑

ポテトサラダを作るたびに、これぐらい?とマヨネーズの量を確認して一緒に作っていた事を思い出す。

子ども達に私の母(祖母)の味は?と聞くと
唐揚げだった。昔は手羽元の唐揚げで硬かったけど、今はもも肉の唐揚げだもんな〜。
同じ人を思い出しても、違った物が出てくる面白い。

コメントを残す

ABOUT US
編集部 青柳 真美お母さん大学本部
お母さん大学事務局兼お母さん業界新聞本部編集部。お母さん業界新聞編集チーフ。みそまるマスター。みそソムリエ。宅地建物取引士。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。家族と仕事以外に、人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/甘いもの。息子(30歳)、孫2人。