お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

名古屋駅は庭だった

私が生まれ育ったのは、名古屋市中村区。

名古屋駅から徒歩10分、という場所で、
結婚までの20数年間生きてきた。

なので、私のふるさとは「名古屋駅周辺」。

ふるさとっぽくない。

森も山も川もない。
カブトムシもいない。
カエルもいない。
夏になると、電柱にとまったセミが鳴いてるくらい。
まれに、道路沿いの植木にかたつむりがいたり。
でも、基本的に、虫はわざわざ昆虫ショップに買いに行くものだった。

雰囲気は下町だった。
古い木造の家が多くて、
お年寄りもたくさん住んでいた。
小さなスーパーもあったが、町の商店も多く、
豆腐屋さんとか、酒屋さんとか、下駄屋さんとか、
駄菓子屋さんもあった。
(写真は、昭和56年1月、ある雪の日。
写っているのは私と妹)

夏の夜中になると、近くの幹線道路を暴走族がパラリラと走る音がうるさかった。
静かな夜の時は、名古屋駅方面から電車の走る音が聞こえてきた。

大きな公園も近くにないので、
家の前でみんな遊ぶ。
とはいっても、道が狭いので、
バドミントンをやれば、屋根にシャトルが乗り、
ボール投げをすれば、これまた屋根にボールが乗る。
それでも、みんなで遊んでた。
道路にチョークで丸書いて、ケンケンパしたり、
縄跳びしたり、ゴム飛びしたり。

住宅密集地で眺めも良くなかったので、
近所のマンションの屋上に行って、景色を眺めたりもしていた。
今と違ってオートロックなんてない時代。

小学校高学年になると、
名古屋駅が遊び場になった。
地下街のアイスクリーム屋さんでアイス食べたり、
今はなきファッションビルでお菓子や文房具を買う。

高校生になれば、
学校帰りに名古屋駅によるのはほぼ日課。
部活がない時などは、自転車で名古屋駅に行っては、ブラブラしていた。

社会人になり、地元の友人たちと飲みに行くようになったが、
名古屋駅で現地集合し、
真夜中まで飲んで、
みんな徒歩で帰る。
「終電で帰る」という概念がなかった・・・

みんな名古屋駅は「庭」なので、
ある日みんなでタワーズ最上階のラウンジに行こうとしたら、
男子の1人が服装でひっかかり入店を断られた。
(ハーフパンツにサンダルという超普段着で来ちゃってた)

どれも懐かしい思い出。

ただ、一緒に育ったみんなは、
ほとんどこの地から去ってしまった。
居を構えるには都会すぎる場所。
私を含め、ほとんどが郊外に住んでいる。

だから、今ふるさとに帰っても、懐かしい面々には会えない。
リニアによる駅前再開発で、マンションも増え、
風景も少しずつ変わってきている。

それでも変わらないところを探しては、
ひとりで懐かしむ。

岡崎で育った夫と長男は、
私のふるさとを見ては、
「こんな狭い町には住めないや」と言う。

確かにそうだね。
ごちゃごちゃしてるし、人も多いし、常にうるさい。
子育てするには決していい環境とは言えないと思う。

だけど、
この環境で私という人は作られた。
だから、静かすぎる夜は怖い。

あのごちゃごちゃ感が落ち着く。

4件のコメント

私が子どもの頃の名古屋駅は、もっとノスタルジックな雰囲気でした。
今のような近代的な建物になったのは、大学生の時。
地下街のサーティーワンで小学生女子たちがアイスクリーム食べてたなんて、なんかおませですね(笑)
アルバイトも名古屋駅の地下街の店でやってたので、
ほんとに名古屋駅は第2の住処みたいなものでした。

看板と自動車が、もうワクワクするフォルムです!
小学生から名古屋駅周辺で遊べるなんて、
本当に都会っ子な過ごし方ですね(^^)
私にとっての横須賀のメッカはサンリオショップくらいでした(笑)

名古屋駅から徒歩圏内と思えないくらいの、この下町っぷり(笑)
私が通った小学校の校区内は、今でも下町感が残ってますが、
それでも、この写真に写ってる景色は、今はガラッと様変わりしてます。
高校に進学して、郊外に住んでるクラスメートたちから、
「なんちゅー都会人なの?!」と驚かれました(笑)

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ABOUT US
天野智子
MJプロ/みそまるマスター/お母さん大学岡崎 代表/ 小学6年生と幼稚園年長の男の子2人の母です。 名古屋市出身、愛知県岡崎市在住。 旧家の農家の跡継ぎ長男の妻として敷地内同居中。 日々試行錯誤しながら、育児に奮闘しています。 育児は難しい!でも幸せ。 その間を行ったりきたり・・・な毎日です。