お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

母の新聞

お母さん大学に入って、わたし版を書くようになった。
(最近は書けていないのですが…ダイジェスト版でもいいから書き納めておきたい)

その時に思い出したことがある。
「昔、お母さんも新聞を書いていたなぁ」と。
すぐさま実家の母に新聞があるかどうかを聞いてみたところ、
「まだ家にあるのかなぁ・・・すぐには見つけられない」との返事。

今年のGWに実家の母と会ったとき、『見つけたよ。良かったら・・・』と渡されたものがあった。
中身を見てビックリ。母が書いた新聞が入っていたのだ。
家の片づけをしていてようやく見つけたとのこと。
お母さん、覚えていたんだ・・・と嬉しかった。

早速約30年前の新聞を読み始めた。
わたしの記憶にあった新聞がそこにあった。
でも、忘れていたこともあった。

そして、親子だなぁと思う内容を見つけてビックリ。

わが子だけでなく地域のこどもが共に育ちあえるような環境を作っていきたいと思っていた私には、劇場運動には共感することがたくさんありました。

子どもの頃、親子劇場に入って、地域の子どもたちと生の劇を観たりコンサートを聴いたりする「親子劇場」に入っていたのですが、母がそのような思いで親子劇場に入ったことを初めて知りました。当時の私は、劇を観てもセリフがきこえなくて、ただただ役者さんの動きを見ているしかない時間がちょっぴりしんどかったのが本音。他の人たちはお友達同士でおしゃべりを楽しんでいたけれど、私は会話の輪に入れなくて、何のためにこの場にいるんだろう・・・と思っていた時もあった。

劇だけではなく、有志でキャンプに行ったり理科の実験授業を体感したりと楽しかったこともたくさんあって、母となってから子どもたちにも体験させている。

母の本当の想いに触れた今、私たちは親子だなぁって思った。
わたしも形は違えど、地域のこどもが共に育ちあえるような環境(社会)を作りたくて、それをミッションに掲げているNPO法人で仕事をしている。四男は「共育ち」を掲げている保育園に入れたくらい、わたしのライフテーマに「地域で共育ち・頼り合い」があるけれど、母に四男だけ別の保育園に入れようか迷っている話をしたときに、『いいと思うよ!!』と背中を押してくれた理由がようやくわかった。

一方で、母の想いから30年。
30年前でも地域でこどもが共に育ちあえる環境を「作らないといけない世の中」だったのか…と思った。

6件のコメント

まつりさん

お母さんも新聞を書いていたのですか!
すごいです。まつりさんのお母さんもペンを持つお母さんだったとは。
その記録により、当時のことが思い出せたことも嬉しいですね。親から子へ繋がる思い、息子くんたちもペンを持つお父さんになって欲しいなぁ。

田端さん、当時ワープロを習っていた母が教室の課題で新聞を作るっていうのがあったらしいんです。それで家族を取り扱った新聞にしたみたいです。
ですが、創刊号・1号で新聞は終了・・・それを母は悔やんでいました。

息子に新聞を書いていることは伝えていないので、どうしようかな~

植地さん、母がMJ!!!
記事によると、姉が中1、私が小4なので、ほんとに約30年前なんです。
お母さん大学ができた頃ですよね(笑)

「あなたの枠ね」って紙を渡されて、私も寄稿したことを覚えていたので、当時の新聞に再会できてよかったです♪

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ABOUT US
松本茉莉
4人の男児の母。 耳がきこえないママが地域に住むきこえる人と繋がれるようなきっかけづくりをしかけるために活動中。 また、発達障害を持つきこえる子どもを育てているきこえない親が集える場、情報交換ができる場、勉強できる場を定期的に開催中。 文字を書くことが好きなので、母親目線、当事者目線で発信していきたい。