お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

特企「父を語る」長いこと人生の障壁だった父をようやく理解できたのは数年前

私にとって父は、長いこと「人生の障壁」であり、
でも実は、誰よりも大きな心で包んでくれていた存在だった。
と、知ったのは数年前のこと。

私は父と、中学のときに進路のことで大喧嘩をし、
それから10年以上、まともに話したことがなかった。

口を開けば喧嘩。私がやることなすこと真っ向から反対し、
ゆえに大学も就職も全く相談せずに決めた。
この人は私のことをなんにも理解しようとしてくれない
と、ずっと思っていた。

しかし、20代後半の頃、仕事の忙しさから体調を崩して、
しばらく会社を休むことになった私。

当時、東京で一人暮らしをしていたが、
名古屋の実家に戻ることに。

それまで好き勝手にやってきたので、
「体調崩して実家に帰ります」なんて言い出しにくかったが、
東京に居続けることはできなかったので、
恐るおそる電話をした。

「お父さん、私、会社休むことになった。
名古屋に帰ってもいいかな」。

すると父は、
「おうおう、いつでも帰ってこい。
お父さん待ってるからな」と言ってくれた。

電話を切ったあと、涙が止まらなかった。
それから少しずつ父との関係は良くなっていった。

その後私は結婚し、5年後に妊娠した。
父は飛び上がって喜んだ。
何をしてもやめられなかったタバコをスパッとやめた。

実家に里帰りして出産したが、
私は産後うつになってしまった。
育児が全くできなくなった私の代わりに
赤ちゃんにミルクをあげ、オムツを替え、抱っこをし、
夜もろくに寝られない中、お世話をしてくれた。

体調を崩して会社を休んだときも、
産後うつになったときも、
父は何も言わず、ただただ私を受け入れてくれた。

ある日、
「なんで、私のこと何もかも反対してたの?」と聞いてみた。

「お前は最初の子だったから、お父さんもお母さんも、
どうしていいかわからなかったんだ」と言われた。

今、自分が親になって、その言葉の意味がとてもよくわかる。
最初の子は何もかもが手探りだ。

父も、どうしていいかわからなくて、
「反対する」という形でしか
対応することができなかったんだと思う。

お父さん、ごめん。そしてありがとう。
これからもよろしくお願いします。

長生きしてね。

(お母さん記者/

お母さん業界新聞2019年6月号「母を語る」特別企画「父を語る」より

3件のコメント

私も実はようやく昨日読んだばかりで、この記事が輝いて見えました。
生きていくうえでは必ず壁に向き合う時が来ますが、その壁こそが父という存在の壁である・・・
壁にもいろいろあって、簡単に乗り越えられる壁ならそれは壁ではないわけだしそのあたりの関係性が
人生の壁の醍醐味になるのでしょう。
天野さんの記事は親子で壁の築き方と乗り越え方を身に着けたからこそ輝きが見えたと思いました。

天野さんの記事でしみじみししながらページめくっていったら、
さらに、「私のお父さん」で30人のお父さんの姿が見えて、もうびちゃびちゃになりました!

世のお父さん、6月号、読んで!!!!泣く!

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ABOUT US
編集部 青柳 真美お母さん大学本部
お母さん大学事務局兼お母さん業界新聞本部編集部。お母さん業界新聞編集チーフ。みそまるマスター。みそソムリエ。宅地建物取引士。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。家族と仕事以外に、人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/甘いもの。息子(30歳)、孫2人。