お母さん大学は、“孤育て”をなくし、お母さんの笑顔をつなげています

8月号宿題◆夏休みの宿題の思い出

じめじめした日が続きますが、
8月号の新聞づくりが始まります。

8月といえば、あー夏休み!
子どもはうれしい! けど、
お母さんにとっては過酷な夏休みでもありますね。
特に夏休みが終わる頃になると、わが子の夏休みの宿題に頭を抱えませんか?

ということで、
今月の宿題は、ズバリ

「お母さんの子どもの頃の
夏休みの宿題の思い出」です。

・絵日記や作文、読書感想文に感想画、書き取りや算数ドリル、家族旅行記や自由研究…
・昆虫採集で珍しい虫を発見した!がんばってつくった作品を弟に壊された!などのエピソード
・自由研究でこんな人に出会った、こんなことができた!など体験など
自由に思い出を綴ってください。

◆回答例
・夏休み最終日、泣きながら裁縫の宿題をしていた私。
母にSOSを出すと、最初は怒っていた母が、そのうち楽しそうに手伝ってくれていたのを思い出す。
「縫い目がきれいすぎたらバレるなぁ」と言いながら、下手に縫ってくれていたっけ。

・8/30・31はどこも空いているからと「8/29までに宿題は終える」のがわが家のルール。
ガラガラの映画館やプール。ちょっと盛り上がりには欠けるけど
きょうだいで、夏休み最後の2日間を満喫していたことを思い出します。
8/29に本を買いに行って、その日のうちに読んで感想文も書いていましたが。

・夏休みの工作は、父の出番。父は大工だったこともあり、とにかく何でもつくれる人。
毎年、私が頼んでもいないのに張り切ってつくってくれていた。
水族館や釣り堀、貯金箱に時計。おかげで毎回金賞をもらえていた私。

・従妹の家にお泊りをしたとき、庭でつくっていたとうもろこしを収穫し、
生まれて初めて、茹でとうもろこしにバターをつけて食べました。
あまりの美味しさに感動し、絵手紙風の絵と言葉を書いて夏休みの作品にしました。

さあ、皆さんも
遠い昔の、あの頃の「私」にタイムスリップしてみてください。

◆投稿ルール
・本名発信。
・文字数は100~200字程度。
・書き方は口語調。ですます調、である調どちらでもOK。
※投稿文は、適宜編集させていただきます。

◆写真
・昔の作品はないと思うけど、
写真がある人(作品でも家族旅行でも)はアルバムのままでもいいので写メで送ってください。

◆投稿方法
いずれかの方法でお願いします。
・この記事のコメント欄に記入。
・ブログ記事として投稿し、コメント欄にURLをリンクする。
・直メールで、info@30ans.com へ。
この場合は(1)名前、(2)ケータイ(日中連絡がとれる番号、アドレス)を記し、
件名は「お母さんの夏休みの宿題/名前」でお願いします。

◆投稿できるのは
・お母さん大学生ほか、それ以外の方も投稿(回答参加)いただけます。
・「お母さん業界新聞8月号」(8/1発行)に掲載させていただくことがあります。
・お母さん大学生以外の方には掲載紙を郵送しますので、
名前、〒住所、ケータイ番号、アドレスを書いて送ってください。

◆締め切り
7月9日(日)
※遅れた人、未提出の人は、バケツ持って立たされますので、よろしく!

21件のコメント

夏休みと言えば、朝の6:30から町内で集まってラジオ体操です!勿論、ラジオ体操カードが学校で配られて、判子押されたカードを提出しなければならず、雨の日は自宅で祖父母に印鑑もらったり、田舎のおじいちゃんちに行ったときはその町内で参加させてもらったり、毎日頑張って皆勤賞!毎日の日記の宿題より頑張ったラジオ体操って思い出です!

クロッキー

小学3年生、朝の会の中でクロッキーの時間があった。
班から日替わりでモデルを出して、3分間でフェルトペンを使い描きあげるというもの。一筆書き一発勝負と言われたが、最初は線しか描けなかった。回数を重ねる毎にコツを掴んで、全身が描けるようになると、楽しくなってきた。
夏休みの宿題は、毎日1枚のクロッキー。家族や雑貨、果物などを描いた。
絵は上手くないけれど、自信はついたと思う。当時の担任の先生に感謝。中学生になって、進学祝いのご褒美といって、フルコースのランチをご馳走してもらったこと、ナイフとフォーク緊張したけど、あの時の先生の笑顔が思い出される。先生がお母さんになった時、ぞうさんのリュックを手作りしてプレゼントしたことがあった。年賀状のやり取りの中、あの時マキちゃんに作ってもらったリックは、孫に引き継がれました!と書かれてあり、とてつもなく嬉しかったことを覚えている。 

実家の夏休みルールはシンプル。宿題終わったら、何をしても自由。
なので、9時50分までに宿題を終わらせたら、ローカルテレビの夏休み特別番組「ハイスクール奇面組」をみよう!といそいそと取り組んでいた。
(MJさんで知っている人、いますか?)

顔も性格もインパクトありすぎ!の5人組と、唯ちゃん&千恵ちゃんのドタバタ劇はとてもおもしろくて、「後ろ髪ひかれたい」の歌はよく真似した。
今はもう奇面組は放送されていないが、別のローカル番組で名探偵コナンの再放送がある。

さて、小学三年生の娘のニンジン(ご褒美)はコナン君にしようかな。

火災予防ポスター

あれは小5の夏休みが終わる前日。まだ火災予防ポスターの宿題を書き上げてなかった私。半泣きになりながら8歳上の姉にすがりつき、炎がだんだんグラデーションで濃くなっていくデザインで、もちろん姉の提案。その作品は最優秀賞に選ばれて私は賞状をもらいました。とても周りには手伝ってもらった作品だなんて言えませんでしたが、姉を尊敬したのは間違えありません。

理想の家の模型制作

小学校高学年のときの自由工作?で理想の自分の家の模型を作った。
建築士の母に作り方を習いながら、アイスの棒を集めて家具をつくったり、布切れを張り合わせてベッドやカーテンをつくったりした。
大人になり建築士になった今思い返すとめちゃくちゃ大きいしスケールもめちゃくちゃだったけど、建築面白そうだなぁと思った最初のきっかけはたぶんあの時だったと思う。

阿蘇山の火口

小4の時、家族旅行で阿蘇山の火口見学に行きました。白い噴煙や、噴気の間から時折見せる赤い溶岩が、怖すぎて、なんで親はこんなところに連れてきたんだ?とイライラしたのを覚えています。
しかし!同時にその圧倒的なエナジーに心揺さぶられ、家に帰るやいなや、鼻から噴煙出しながら?鼻息荒く、粘土で阿蘇山の火口を作り始めました。火口に立った時の畏怖の念がちゃんと見た人に伝わるようにと、中にビニール袋を入れて、ストローを吹くと地面が赤くなり噴煙が上がる仕組みも思い付き、厳かさを表現したく岩の色も何度も塗り直して、よりリアルさを追求。
夏休みの自由工作として、学校に持って行った時、クラスの男子から「夏休みの宿題なのにこんなに力入れるげな」とからかわれました。とは言え、持って帰る頃には壊れてしまう程、クラスのみんな、こぞってストローを吹いて噴煙を上げてスゴイスゴイと言ってくれ、おいおい壊すなよ!と怒る気持ちと、そんな夢中にならんでよぅという嬉しい気持ちが相まって変な顔をしていました。

家に持って帰っても、壊れているのに、母がしばらく玄関に飾ってくれていたのも嬉しかったです。

後にも先にもあんなに熱くなった夏休みの宿題はありません。

小学校2年生の時の自由研究「シミの研究」。綿・麻・絹・ポリエステルの布の切れ端に醤油・ソース・ケチャップ・カレーを塗って、5分後・1時間後・1日後・3日後に洗濯して汚れの落ちを観察するというもの。お父さんにプロデュースされ、お母さんの全面協力(切れ端の洗濯や模造紙に貼るためのアイロンがけ等…)を得て実現。生地の種類×染みの種類×時間…でサンプル数は膨大に!!めんどくさすぎて途中で飽きて投げ出したくなったけど父に許されず(あ~気軽にお父さんなんかに相談するんじゃなかった。朝顔の観察にすればよかった…ていうかそんなに熱心にやりたいならお父さんがやればいいのに)と後悔したけれど今になってみると楽しい思い出。学校でちょっとした賞をもらって誇らしくなったっけ。小2で『カレーは落ちない』『醤油は落ちる』『とにかくなるべく早く洗うべし』と知れたのも面白かったな。あ~懐かしい。模造紙、取っておけば良かったなぁ~。

小6の自由研究。親友と共同でプランクトンの研究をした。模造紙3枚にわたる大作。そして大きく描いたプランクトンの絵。これがインパクトありだったようでクラスでウケたが、当時流行っていた映画とリンクし、私たちのあだなが「エイリアン1号」「エイリアン2号」になった。その後、校内の発表会で優勝し、地区大会に。恐ろしい一つ目の宇宙人のような絵を町中にさらすことになったプラマイゼロな思い出。

読書感想文が小学校低学年の夏休みの宿題に。
苦手だから、最後まで残ってて…
お母さんがコレなら書けるやろうと、「ブレーメンの音楽隊」を本屋さんから買ってきてくれた。
だけど私は「なんも思わんし、感じらん!」と泣き叫んだ記憶があります(笑)
結局何行か書いて提出したような…

夏休みの宿題、、うーーーん。。
記憶を掘り起こすのに時間がかかりました。

いとこが15人!
①お盆の季節、いとこたちと宿題をやるのが定番。先生は高校で数学を教えていた叔父!
4〜5人で叔父を囲んでドリルをやり、出来た人から遊びに行くシステム!

②鹿児島弁を自由研究にしなさい!とよく言われていました。
暗号のような難しい言葉に、意味がわからず困惑。歳の近いいとこたちの通訳は必須でした。
メモした言葉が理解できずやーめた!となるお盆明け。

そして、絵日記は帰省の思い出を書きがちでした。

中学の技術家庭科で、菊の観察日記を書くという宿題がでました。

八月下旬、久々に見た菊は変わり果てた姿に…
もちろん、観察日記も白紙。
必死に、日に日に枯れていく様子をイメージして書いた!気合い!!
結果、『金賞』
技術家庭科の評価もアップ。
私の想像力への評価か?!

先生、実はぜーんぶわかってて、嫌みをこめた評価だったのかな~としばらくドキドキしていた思い出です。

自由研究やポスターのアイディアをくれた母に対して「うーん…。なんか違う。」「それじゃなぁ。」など文句を言っていた気がする。「それなら自分で考えなさい!」と怒られた覚えはない。アイディア頂戴とお願いした覚えもないので、声をかけてくれたのは母の優しさだと思う。そんなちょっとお節介を私は知っている。私が今、息子によくやっていること。きっと4年後、息子に対して母と同じことを言って、息子が同じことを返されていそうだなと思う 笑 その時、私は怒るかな?悲しむかな?嫌味を言うかな?どうなっているんだろう。

宿題は7月中に終わらせて、楽しみと言ったらプール開放と毎年恒例の「東急スタンプラリー」第一回目から東京に住んでた6年生まで毎年制覇してました。
そして気の重いお父さんの田舎への帰省、、大人たちは朝からお酒を飲んでるのでどこも連れてってもらうこともなく、ほぼ家の中で過ごしてました。

途中で送ってしまいました‍♀

子ども心に、せっかく田舎に来ても楽しいことないな〜と日々ゴロゴロ。今思えばそんなことできるのも子どもの特権だったことに気づくのですが(^_^;)

夏休みといえば、町内会で連れていってくれる2泊3日のお泊まりです。
三姉妹なのになぜか行きたいのは私だけ。。笑
旅行とか外食とか家だとほぼなかったので、いつも楽しみでした。
民宿みたいなところに泊まって3-4人で一部屋の部屋割りも誰と一緒かなーとワクワクしたり、何がでてくるんだろうと三食楽しみにしていたり、川の中での自然ウォータースライダーはとにかく楽しかったな〜と、うる覚えの記憶をたどっていたら楽しい思い出が蘇りました。

追記
そんな話を書いていたらすっかり趣旨を忘れてしまいました
宿題の思い出といえば、そうあんまりないのです。ただラッキーなことに私は双子笑。同じ宿題をしている人がもう1人家族にいるのだからみんなより遥かにラクだったのではと思います。

宿題提出遅れました!
バケツは持ちたくないけど夏休みの宿題関連で思い出があるので投稿します(^-^;

高校の頃、夏休みの宿題が多すぎて腹が立った私は、部活のラジオ製作で、何人かの先生方に各教科の宿題を1ページずつやっていただき、その時間を測定。そこから、全部の宿題を終えるには1日に何時間宿題をしなければいけないかを算出した。
正確な時間は覚えてないですが、1日の結構な時間を宿題に費やさなければいけないと言うことがわかり、大人の「宿題依存性」を問題提起した。
あれから月日が流れ、、、母になり。今なら先生方の気持ちがよくわかる。笑
子どもには宿題してもらってた方が安心ですよね。我が子が大きくなったとき、「宿題したくない」と言ったとき何と声掛けするのかいまから悩んでます。笑

コメントを残す

ABOUT US
編集部 青柳 真美お母さん大学本部
お母さん大学事務局兼お母さん業界新聞本部編集部。お母さん業界新聞編集チーフ。みそまるマスター。みそソムリエ。宅地建物取引士。仕事は、お母さんを笑顔にすることと、味噌を伝えること。具体的には、編集・企画・営業・イベント…。家族と仕事以外に、人生に欠かせないもの…車/映画/本/旅/甘いもの。息子(30歳)、孫2人。